プロフィール
職業はヘアメイクアーティスト。長年に渡り人気ブログランキングでダントツの1位を維持し続けている、圧倒的な人気を誇るブロガー。
インターネット上に「きっこの日記」(さるさる日記)と、「きっこのブログ」(ニフティ・ココログ)というウェブサイトを運営している。
俳句や音楽、芸能、政治、経済、TV 鑑賞、パチンコ等、非常に幅の広い事柄を、ほぼ毎日、驚くほどの長文で更新している。
また、白夜書房より「きっこの日記」「きっこの日記2」、辰巳出版より「きっこの日記R」が出版され、こちらもブログ同様に話題を呼んでいる。
今回、2009年11月11日にリリースされる、河口恭吾さんのニュー・アルバム「WOMANING」に、「my dignity」という楽曲において、はじめて詩を提供した。
「きっこのブログ」
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河口恭吾「WOMANING」
男たちが完全に共有するにはほど遠い傷を抱えながらも、明確に生きる意志を持つ女性たちの、生々しいほどにリアルな肉声。そんな曲がいくつも収められているアルバム。それが11月11日に発表される河口恭吾さんのニュー・アルバム、「WOMANING」だ。
この、胸が引き裂かれそうになるほど痛すぎる肉声を、見事なまでに上質な音楽に仕上げた河口恭吾さん。その過程はまさに至難の業の連続であったように思う。これはもう、とてつもない "努力という名の才能" と呼ぶにふさわしい、根気と感性と技術の賜物だろう。
今回のアルバムは、"いまを生きる" をテーマに、ファッションデザイナーのコシノヒロコさんや、元宝塚トップスターの紫吹淳さん。プロフィギュアスケーターの荒川静香さんのような、一般的に知名度の高い方。またその一方で、「いのちの電話指導員」の ”いのちの電話” さんや、パティシェの柿沢安耶さん。2008年に36歳の若さで亡くなったテレニン晃子さんなど、実に様々な女性が詩、もしくはモチーフを提供していらっしゃる。
そのなかの1曲に「my dignity」という楽曲があり、その詩をきっこさんが書かれた。
詩の内容は、きっこさん自身が実際に体験されたレイプのときの模様とその後の心象が凝縮して書かれている。ぜひこのアルバムを購入して、歌詩カードを見ながら「my dignity」をみなさんに聴いてほしい。それこそ経験したことのないほどの衝撃を受けるはずだ。そして聴き終わったあとは、絶望を乗り越える力を、きっと与えられることだろう。
今週と来週の金曜日、2週に渡って、きっこさんのインタビューをお届けする。
*なお、顔写真については、ちゃんとした顔出しがNGなので、はっきりとは分からないように色彩加工した写真を使用しています。
「"レイプされた時のことを書いてみよう" と」
●今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
●まず最初に、今回、河口恭吾さんのアルバムに詩を提供されることになったいきさつを、改めて教えてください。
今年の2月に、河口恭吾さんのレコード会社の担当の方から「女性を応援する企画に協力して欲しい」という趣旨のオファーがあり、当初は作詩だと思わなかったので、「私にできることなら」とお答えしました。でも、その後、今回のアルバムの企画の説明と、その中の1曲の作詩を依頼したいという詳細を知らされて、とても驚きました。
●それまで河口恭吾さんについての印象は、どのようなものでしたか。
河口さんには本当に申し訳ないのですが、私は最近のJ−POPはほとんど聴かないので、『桜』を唄っている人、という認識くらいしかなく、楽曲も『桜』しか知りませんでした。今回のお話があってから、あわてて河口さんのこれまでのアルバムを聴いてみて、独特の味わいのある歌声と、弱いものに手を差し伸べるようなあたたかい詩の世界に、とても惹かれました。
●河口さんの声自体に愛情を感じますよねぇ。それで最終的に、詩を書くことを承諾された、一番の要因はなんだったのでしょう。
私は、自分が生きることだけで精一杯で、とても他人を応援する詩など書けません。「虚(きょ)」の詩であればいくらでも書けますが、俳句でも日記でも「実(じつ)」を書くことをポリシーとしている私としては、たとえ他人が歌う歌の歌詩であっても、私の名前がクレジットされる以上、嘘は書きたくありません。そのため、最初は、お断りするつもりでした。
●……、……。
でも、レコード会社の担当の方から、河口さん自身が「きっこの日記」のファンであり、是非きっこさんに書いて欲しいと言っているとの話を聞きました。そして、河口さんご本人からも、数年前のある事件の記事をきっかけに「きっこの日記」のファンになり、それ以来、ちょくちょくと読んでいること、私の書く内容や姿勢に共感していることなどをお聞きしました。その具体的な内容から、けっして社交辞令などではなく、本当に私の日記を読んでくださっていることが分かり、何とか協力したいと思うに至りました。
●なるほど。
繰り返しになりますが、私は、自分が生きることだけで精一杯で、とても他人を応援する詩など書けません。だからと言って、嘘は書きたくありませんし、実体験のともなわない想像の詩では、私のポリシーに反する上に、人の心を動かすことなどできないと思いました。それで、私が思いついたのが、自分がレイプされた時のことを書いてみよう、ということだったのです。
●そうだったんですね……。
世の中には、レイプや性犯罪の被害を受け、警察に届けることもできずに泣き寝入りしている女性が数え切れないほどいます。そうした女性たちの中には、重度のPTSDに苦しんでいて、まともな社会生活を送れずにいる人も多いのです。「きっこの日記」でも、過去に何度か、被害女性たちからのメールを紹介したことがあります。私の母さんくらいの年齢の女性は、16才の時に見知らぬ男にレイプされ、妊娠してしまい、遠く離れた町の病院まで人工中絶をしに行ったそうです。そして、60才を過ぎた今でも、「あの時の子供がもし生きていたら、今いくつだろう、と思います。産む事が私の選択肢になかったのは、この年になっても、子供には本当に悪かったと思います」と自分を責め続けているのです。これほどつらいことが、他にあるでしょうか。
●……、……。
それなのに、相手の男は、自分が1つの幼い命を殺した事実さえ知らずに、1人の女性の人生をメチャクチャにしてしまった自覚さえないままに、のうのうと暮らしているのです。19才の時に、医大生にレイプされたという女性は、それから20年間、誰にも言えずに、自分ひとりで苦しみながら生きて来たと言っていましたが、その医大生は、彼女をレイプした2年後に医者になり、それから20年間、周りの人たちから医者として尊敬されて生きて来たのです。これほど酷い話があるでしょうか?
●たしかに。
重度のPTSDになった女性も、運悪く妊娠してしまった女性も、みんな、重い十字架を背負わされて、一生を生きて行くしかないのです。私は、自分のレイプ体験を乗り越えて、今を必死に生きています。だから、私は、自分のレイプ体験を歌にしてもらうことで、同じような被害に遭って苦しんでいる女性たち、泣き寝入りしている女性たちに、ほんの少しでも勇気を与えられるかもしれない、新しい一歩を踏み出すための手助けになるかもしれない、と思ったのです。それで、河口さんに、レイプがテーマでも構わなければ書ける、ということをお伝えしたところ、承諾をいただけたので、書かせていただいた、という流れでした。
「自分の思いをそのまま言葉に」
●河口さんに「レイプがテーマでも構わなければ書ける」と伝えられるとき、相当な勇気が必要だったのではないですか?
自分の体験を書くことに対しての抵抗はありませんでしたが、「河口さんサイドの趣旨に合わずに却下されるだろう」という懸念はありました。それで、「無茶な提案をして、ご迷惑をおかけしてしまって申し訳ないな‥‥」という思いはありました。
●それでも河口さんは「レイプがテーマでもいいです」「大丈夫です」と返事をされたんですね。それって、本当にすごいなと思います。それだけで、河口さんのことを尊敬するに値します。
それで、きっこさんが承諾された段階では、『My dignity』のアイディアはすでにありましたか。
私のレイプ体験は、これまでに俳句作品として、俳句誌や一般誌などに発表してきました。代表的なものは、この4句です。
汚れたる体は重し鳳仙花
ぼろぼろのあたしはここよゆりかもめ
昔レイプされた空地や冬の月
凍空へ胸の揚羽を放ちけり
俳句は作者の主観を述べる器ではないので、1句目と2句目は川柳ということになってしまいますが、私は俳人なので、すべて俳句作品として発表してきました。こうした俳句作品が、今回の詩の下地になっています。
●どれも、ずしりと心に響く句ですね。この4句の発表は、どれも同じような時期ですか? いつ頃だったのか、教えてください。
20句の連作の中に入れた句なので、すべて同じ時期です。10年少し前、24〜5才のころだったと思います。その後、部分的に手を入れたり連作自体を編み直したりして、複数の媒体で発表して来ました。最近では、「Dictionary」という老舗のフリーペーパーの2007年12月号に、「新宿聖夜」という30句の連作を発表させていただき、この中の3句を使いました。
●わかりました。ではプロの、それも河口恭吾さんのような人気アーティストに詩を提供するという意味で、臆病風に吹かれるような、そんな心境になったりはしませんでした?
最初は「私なんかが」という気持ちも多少はありましたが、私の書いたものを元にして河口さんが手を入れてくださると言うので、安心して書くことができました。
●あぁ、なるほど。そうだったんですね。その経過の中に、河口恭吾さんの声のイメージはありましたか。
詩のテーマも内容も果てしなく重たいものなので、歌う人によっては、世に出すべき楽曲にならないのでは?ということを懸念しました。でも、河口さんの楽曲をいろいろと聴いてみて、この人の声や歌い方であれば、きっと私の思いを正しく伝えてくれるだろうと感じたので、自分の思いをそのまま言葉にすることができました。
●実際に音を聴いてみると、包み込まれるような感覚を覚える河口さんの声や、コードを独特のリズムで刻むキーボード。それとヴィブラフォンか、もしくはなにか別の鉄琴楽器の澄んだ音色が印象的な楽曲です。それでもやはり、歌詞カードを目で追いながら曲を聴いていると、耳だけで聴くのとは異なる、音と詩の、ある種のギャップが存在しているようにも感じます。音だけだと聴き流すことも可能かもしれませんが、詩を読みながら曲を聴いていると涙をこぼしそうになります。そういったことについて、きっこさんが感じられたことがあれば教えてください。
初めてデモを聴かせていただいた瞬間に、「これはレゲエだ」と思いました。私は、ボブ・マーリィを始めとしたルーツ・ロック・レゲエが大好きなのですが、ルーツ・ロック・レゲエの特徴の1つに、とても重たい内容の歌詞と、それをまったく感じさせない明るいメロディーやリズムというギャップが挙げられます。白人によってアフリカからジャマイカへ奴隷として連れてこられた歴史や、まったく人間として扱われていなかった時代の苦しみ、自分の肉親を白人に殺された恨みなどを唄っているのに、ニコニコと笑いながら踊り出してしまうような心地よいメロディーやリズム。強い訛りのパトワイングリッシュをヒヤリングできずに、メロディーやリズムの楽しさからレゲエを好きになった私は、あとからボブ・マーリィのいろいろな楽曲の歌詞の意味を知り、大きな衝撃を受けました。そして、ずっと聴き続けているうちに、明るく楽しいメロディーやリズムだからこそ、より、歌詞の重みが心に響いて来るのだということを実感したのです。
●その話は深いですねぇ。結果的には、今回の『My dignity』もきっこさんのおっしゃるのと、非常に近いニュアンスに仕上がっていることに驚きます。
スイカに塩をかけると甘みが増すように、場合によっては正反対のものを取り合わせたほうが、本来の味を引き出すことにつながるのですね。
●わかりやすい喩(たと)えをありがとうございます(笑)。もともと、きっこさんが詩を書こうとしたときに、音やリズムのイメージはありましたか。
具体的には考えませんでしたが、重たい詩だからバラード調の曲になるだろう、という単純な思い込みはありました。
「生きるために車から飛び降りたのです」
●まだ音を聴いていなくて、詩だけを読んだ段階での感想は、ぼくも同じです。それと、『My dignity』の詩が完成するまでに、ご自分の中で葛藤はありましたか。もしも葛藤があったとすれば、それがどのようなものだったのか、教えてください。
私のレイプ体験は、すでに「きっこの日記」の中で告白していますので、改めて詩のテーマにすることに、特に葛藤はありませんでした。ただ、どこまで具体的に書くべきか、という部分では、私の問題ではなく、この歌を聴いた被害女性にマイナス効果を与えないようにとの思いから、「もっと具体的に書きたい」という主観的な自分と、「これ以上は書くべきでない」という客観的な自分との間での葛藤がありました。
●なるほど。非常に難しい判断だと思います。それでも、「変わってしまったあの日から 心に空いた大きな穴 / そこから見上げる空にいつか光が射すように」という詩や、「奪われたものはきっと自分で取り返すから」という詩には、祈りの強い想いを感じたり、自分を信じる力、そして、切実で明確な意志を感じます。この点についてはいかがでしょう。きっこさんは単に重いだけの詩にするのではなく、意識的に祈りの想いや、前に進もうとする意思を表現したかったのでしょうか。
私自身、実際には、立ち直るまで‥‥というか、乗り越えるまでに、何年もかかっています。さらに言えば、今でも完全には乗り越え切れてはいません。被害を受けてからの最初の1年間は、何でもない時に、突然、言い知れぬ恐怖感に襲われて、何時間も涙と震えが止まらなくなったり、見ず知らずの人たちがたくさんいる場所を歩くことができず、電車やバスにも恐くて乗ることができませんでした。誰のことも信じられなくなり、極度の人間不信に陥ってしまいました。学校の友人たちに囲まれていても、ひとりぽっちでいるような孤独感にさいなまれました。そんな時、唯一信じられたのが、自分自身だったのです‥‥と言うか、誰のことも信じられなくなってしまったのに、自分のことまでも信じられなくなったら、あまりにも自分がかわいそうだから、「自分を信じ続けていれば、いつか絶対に自分の力で乗り越えられる!」と念じ続けたのです。その時の気持ちが、今の私につながっているので、今、苦しんでいる女性たちにも、「自分を信じる」ということを伝えたかったのです。
●……、きつい話ですね。だけど、「乗り越える」意志が伝わる詩になっていると思います。……最初、ぼくは音を知らない段階できっこさんの書かれた『My dignity』の詩を拝見しました。そのときの衝撃は、未だに忘れられません。あれは衝撃以外の何ものでもありませんでした。ショックと言ってもいいほどです。音を知らないで詩だけを拝見したら、この上なくヘヴィな内容でした。このことについてコメントをいただければ嬉しいです。
先ほども言ったように、私は、俳句でも日記でも、嘘を書くことが嫌いです。
●ええ。
アニメや落語のパロディなど、最初から明らかに創作だということが分かるものは楽しみながら書きますが、そうした特別なもの以外は、すべて事実を書くように心がけています。今回の詩も、俳句や日記とは形態が異なりますが、姿勢としてはまったく同じで、すべて事実しか書いていません。
●はい。
ただし、1つの詩として完成度を高くするために、2つの事件のことを合体させていますので、その点だけは「創作」ということになります。今回の詩は、17才の時に車で誘拐されてレイプされた時の体験をベースにしていますが、顔にアイスピックを突きつけられて脅されたというのは、書籍版の「きっこの日記R」の中にも書き下ろしましたが、社会人になってからの事件です。この時は、走る車から隙をみて飛び降りたので、レイプはされませんでしたが、代わりに腕と足を骨折して、一歩間違えば死んでいました。つまり、レイプという卑劣な犯罪の恐ろしさを描くために、私が体験した2つの事件の恐ろしかった部分を1つにまとめた、ということなのです。ですから、厳密に言えば「創作」になってしまいますが、すべてが紛れもない実体験なので、読んだ時に衝撃を感じたのだと思います。
●ええ。エンタテインメント性が求められる作品で、ぼくはこれほどのリアリティーを感じた作品ははじめてです。たしかに、だからこそ、あれほどの衝撃を受けたのだと思います。
今回、インタビューをさせていただくにあたり、改めて「きっこの日記R」の “恋愛遍歴” の部分を読み直してみました。やはり、非常にヘヴィでした。きっこさんが付き合っていた男が、きっこさんの全財産である350万円を盗んだ上に、きっこさんが警察に届け出ないように、仲間たちを使ってきっこさんを拉致して、レイプして脅そうとしていたと。そして、脅してもきっこさんが言うことを聞かなかったら、殺すつもりだったと。そのときに、それこそ死ぬかも知れない覚悟で、走る車から飛び降りて複雑骨折されたんですね。
思い出させてしまい、申し訳ありません。でも、『My dignity』の詩には、生きていく意思があり、この楽曲を聴いているぼくも救われる思いがします。
十数年が過ぎた今でも、はっきりと覚えていますが、私は、死ぬために車から飛び降りたのではなく、生きるために飛び降りたのです。たとえ死んだとしても、こんなやつらにレイプされるくらいなら、あの屈辱をまた味わうくらいなら、車から飛び降りて死んだほうがましだと思い、その思いの力を勇気に変えて飛び降りたことは事実ですが、それでも、あたしは、生きるために飛び降りたのです。そして、重傷は負いましたが、死ななかったのですから、私は、やつらに勝ったのです。
「自分ではつらくて唄えません」
●はい。ぼくもそうだと思います。それにしても、何度も同じことを聞くようで恐縮ですが、最終的に、きっこさんの辛い体験をテーマとする決断は、どのようにされたのでしょうか。
「体験者でなければ書けないテーマである」ということと、私が書くことで、同じ被害に苦しんでいる女性たちが少しでも救われるのなら、それは、私自身が救われることにもつながるからです。
●なるほど。わかりました。それでは次の質問を。詩を書くときに、ご自分で唄うことはイメージされましたか。
まったくイメージしていません。さすがに、自分ではつらくて唄えません。
●……、はい……。……では、次の質問を。“dignity” は、「尊厳」と解釈していいでしょうか。「尊厳」以外の意味も込められていたら教えてください。
実は、この「dignity」という言葉の入ったタイトルやフレーズは、私の書いた詩を読んだ河口さんが、あとから織り込んだ部分なのです。
●あー、そうだったんですね。
ええ。私の伝えたかったことを河口さんが客観的に見てくださり、そこから生まれた表現なのだと思います。
●最初に河口さんが「dignity」という言葉を使われたのを見られたときは、どんな印象をお持ちでしたか。
レイプという犯罪は、女性の尊厳、人としての尊厳を踏みにじる、この世でもっとも卑劣な犯罪でありながら、加害者側には、そうした自覚はほとんどありません。加害者の多くは、自分の犯した罪を万引き程度にしか思っていないのに、被害者のほとんどは何年、何十年と苦しみ続けるのです。そのため、私は、「人としての尊厳」という言葉を使って、この卑劣な犯罪の重さをアピールしたかったのですが、そうすると、この歌を聴いた被害女性たちに、さらに重荷を科せてしまうように感じたのです。それで、「尊厳」という言葉は使いませんでした。でも、河口さんが「dignity」という言葉を織り込んでくださったことで、「英語表現による緩和」が働き、被害女性たちに無用のプレッシャーを与えずに、私の思いをより明確に表現できたと思いました。河口さんの感性と才能は、本当に素晴らしいと感じました。
●まったくです。その意味においても、本当に尊敬できるアーティストだと思います。それともうひとつ、初歩的な質問として、きっこさんが長年されていらっしゃる俳句と、音楽の歌詩は、つくるときの差異、注意点はどんなところですか。脳みその動きがまったく違うと思うのですが。
文学的に言いますと、俳句や短歌は「定型詩」というジャンルになりますが、私は、俳句や短歌を「詩」だとは思っていません。俳句や短歌は「作るもの」ではなく、「詠むもの」「詠うもの」であり、つまりは「歌」なのです。
●なるほど。
自分の見たもの、体験したこと、感じたことなどを五七五や五七五七七というリズムに乗せて詠うもの、これが俳句や短歌ですから、音楽の歌詩を書く時も同じような流れでした。音数や韻に気をつけながら、破調にならないように言葉を紡いで行く、という部分では、俳句と同じ作業でした。
*
河口恭吾さんからの依頼を受けてつくられた詩の中身は、レイプというおぞましい犯罪によって、もう二度と立ち上がることができないと思われるほどズタズタにされた魂が、それでも自分の力で立ち上がり、自分の足で歩きだし、痛みを乗り越えて尊厳を取り戻そうとする、魂の叫び、そのものだ。
途中、”きっこさんの辛い体験をテーマとする決断は、どのようにされたのでしょうか” という質問に対して、きっこさんはこうおっしゃった。
「私が書くことで、同じ被害に苦しんでいる女性たちが少しでも救われるのなら、それは、私自身が救われることにもつながるからです」と。
この、まずは人を思いやる気持ちこそが、きっこさんの高い精神性だと、ぼくは思っている。それは、相手の喜ぶ顔を見ることによって、自分もしあわせを感じる感覚に似ているかもしれない。だがしかし、"言うは易し" で、実際に精神から醸し出されるままに、ごく自然な言動をおこなうのは、多くの人にとって至難の業のはずだ。
それでも、こういったきっこさんの精神性は、彼女が日々綴っている「きっこのブログ」のなかで随所に垣間見ることができる。だからこそ、あのブログはあれほど多くの人々に支持されているのだ。
次週、Part.2も、どうぞお楽しみに。