プロフィール
ロシア生まれ。1988年、『ZOO』でソロデビュー。1999年から、ソロプロジェクト「SORROW」の制作活動を開始。その後、バンドスタイルへと移行し、自身のレーベルも立ち上げ、現在に至る。DJとしての活動も活発で、「Honey Hall」ほか多くのイベントをこなしている。また音楽以外でも、CMや映画での起用、モデルとしてファッション誌を賑わせるなど、ロック少女の間で憧れ的な存在。自身のアパレルブランド「Royal Pussy」では、毎シーズン斬新なアイテムを展開している。2001年には、待望の第一子、女児を出産。
川村カオリOfficial Web Site
http://www.calvaryltd.com
ここに、一冊の自叙伝がある。タイトルは、『Helter Skelter(ヘルター・スケルター)』。著者は、川村カオリ。これは、2005年に宝島社から出版され、2007年に文庫化された本だ。ロシアで生まれ、日本でいじめられた幼少時代、国籍差別との闘い、情熱的な恋、母の死、妊娠、出産、夫・モトアキとの関係、そして、突然訪れた病を、赤裸々に綴っている。
この本の文庫化にあたり、川村カオリは本の最後にコメントを寄せているが、そのなかの一節に、こう記している箇所がある。
「哀しみも喜びも、生きているからこそ、です。
まずは、生きること。
幸せになる方法と逃げる方法はいつでも側にありますから。
その鍵はあなたにしかありません」
そんなふうに読者に伝える彼女とは、1988年のデビューのときに取材で出会ったのが最初だった。そのとき、彼女はたしか17歳くらいで、ぼくは20代の後半だった。ピュアな感性とまっすぐな性格に好感がもてる女性だった。彼女の書く詞も好きだった。
それ以来、幾度となく取材をさせてもらっていたが、途中、10年近く会っていない時期がある。今回も、7年ぶりにオファーしたにもかかわらず、彼女は快く引き受けてくれた。最初の出会いから20年。彼女とぼくは全く別々の経験をしながら、異なるポジションで生きてきた。そして、ぼくにしてみれば40代になって初めて出会ったのに、彼女の第一声は、「末美さん、全然変わらないね」だった。
今週から週に一度のアップ予定で、三回に渡り川村カオリのインタビューをお届けしたい。女性なら必読のインタビュー、とお伝えしても、さして過言ではないと思う。
まずはそのPart1を、ここにお届けする。
「母子家庭の辛さを日々感じています(笑)」
●今回、インタビューのオファーを出させてもらったときに、「《ヘルター・スケルター》 のその後」をひとつのキーワードに、取材させてくださいとお願いして。それで、” OK “の返事をいただいたんですが、その、ほんの2、3日後に、まさか離婚の記者会見があるとは思いもしませんでした(笑)。
「ヤフーのトップニュースで出ていましたね(笑)」
●記者会見の内容を知った瞬間は、このインタビューの内容をどうしようかと思いました(笑)。
「離婚届はふたりで出しに行って。カウンターで、離婚届が受理されるじゃないですか。で、担当の人が一度、奥にもっていったのね。そしたらモトアキくん、” ちょっと待って! 写メ撮らして “ って(笑)。 “ 俺のケータイ、駄目だ。カオリ撮って “ って。 “ 私たち、なにやってんだろうね “ って(笑)。
そういう状態での離婚だったので、稀に見る円満な離婚だったと思います。たぶん、私にもモトアキくんにも悔いがなくて。子供がいるから、一生切れる縁じゃないこともわかっているし。普通の離婚と比べたら、すごく前向きでポジティブな、ふたりの関係がより一層よくなるための決断だったというのが、正直なところです。
でも、その後、母子家庭の辛さを日々、しみじみと感じていますけどね」
●たとえば、どんなところで。
「私はモトアキくんのご両親とずっと一緒に暮らしていたんだけど、独立をすることになって、引っ越しをしようと思って申し込むじゃないですか。そうすると、母子家庭を理由に断られるんですよ」
●……考えられないね。
「考えられない。” 助けてくれるんじゃないの? “って。大家さん的には、” 離婚するということは、どこか破綻しているんじゃないか “ という見方をするらしくて、社会的な信頼性がないという烙印を押されて。それを理由に、四軒くらい断られた。ひどいところは、” 離婚の理由を教えてください “ とまで言われた。” はぁ? そんなこと、関係ないでしょ “ って。
引っ越しでそういう目に遭うとは思っていなかったから、意外でしたね。てっきり、暖かい目で見られるものだとばかり思っていたから(笑)。そういうのとか、日本の福祉がいかに遅れているかということを、毎日のように思い知っているところです。日々、勉強ですね」
●本来は、暖かい手を差しのべてあげるべき存在なのに。
「うん。そう思っていたんだけどね」
「人に裏切られるなんて思ってもいない子なの」
●で、今日は川村さんが書かれた『ヘルター・スケルター』の中から、ここに書かれている様々な出来事をピックアップさせてもらって、それに対してコメントをお願いします。
「はい。OKです」
●では、まずはじめに、いじめの話から聞かせてください。
「うん」
●給食の中に、ゴミやゴキブリを入れられた。
「でも、いまのいじめはそれ以上ですよ。ニュースを見る度に、私の時代はまだユルかったなって思う。もちろん、当時は衝撃的なことではあったけど……。個人名を使って、” 川村カオリを殺す会“ というのが存在していたこととか、……本には書けないこともいっぱいあって。給食にゴミやゴキブリを入れられたのは、まだいいほうだったのかな。
子供の想像力と、子供の政治的な社会というのは、大人が思っている以上に陰湿で入りくんでいる。そのことは、私が11歳のときにはすでにわかっていたことだったので、ここ数年、いじめが取りざたされているけれども、大人のコメントを聞いて、” わかってない “って、すごく思う。子供をね、子供扱いしたら駄目。その辺のボーッとした大人よりもすごく頭が切れるし、ずる賢いし。本当に、ちゃんとピラミッドができてるの」
●縦社会。
「縦社会がちゃんとできていて、諦めるしか、方法がない。逃げるしかない。あとは、ひれ伏すしかない。私のときはそういう選択しかなかったし、たぶん、いまもそうだと思う」
●深刻なままだよね。
「深刻なまま。なぜなら、その本質を見抜かないからだと思う。ただ、自分が大人になって思うのは、”まさか“ ということは、どんな場所でも起きていて。親御さんにしてみたら、”まさかうちの子が“ というようなことだったりするんだけど。そういうことは身近でたくさん起きていて。
みんながもっと緊張して生きていかないと、社会はバランスがとれないと思う。きれい事だけ並べていても、形だけ窓口をつくっても、意味がない。教師はもっと緊張すべきだと思うし、もっと気を引き締めて教員免許を取ってもらいたい。自分もそうだけど、大人は助けてくれない。見抜いてくれない。特に教師は助けてくれない。ましてや、いじめている子がPTAの会長の娘だったりすると、教師はなにもしないから」
●以前、2000年に、川村さんが結婚してまだ間もないときなんですが、インタビューをさせていただいたときに、川村さんはこう言っているんです。「こんな世の中に子供を産みたくない気持ちも少し……、社会に対して怖いな、いやだなって思う。安全じゃないって」と。
「へぇ〜。そうだったんだ。ただまあ、できてしまった生命は、流すことはできなかったし喜びのほうが大きかったから産んだけど……。その怖さは、彼女は来年小学校なんだけど、どんどん大人になるにつれて、より一層大きくなってきていますね。私が学校に付き添って行けるわけではないから、彼女がひとりでクリアするために、なにを教えられるのかということを、常に考えている。
彼女が帰ってくると、私はいろいろ聞き出そうとする。誰となにをしたのかとか、その日あった楽しいこと。その日あった悲しいこと。その日あったムカつくこと。そういったことを寝る前に必ず聞いて、友達関係を把握して。そういうことをいまやっているけど、やっぱり、私と同じような道を歩んでしまうのかなという不安はすごくある。クォーターといえども、パッと見た目は日本人ではないから。なにも間違ってはいないんだけど、すごくまっすぐ育ってくれて、すごく純粋で人にやさしくて、人に裏切られるなんて思ってもいない子なの。ズルさもなくて。
だから、なんにも悪くないんだけど、逆にそれが怖い。打たれ弱いし、人がひどいことをするなんて、思ってもいない。『今日、友達にこんなことを言われた』って、すごく落ち込んで帰ってきたときに、私は『あっ、そっかぁ』と思ったの。5歳まで、まっすぐ生きることだけを教えてきちゃったと思って。これからはズルさも教えなきゃいけないんだと思うと……。矛盾しちゃう教育の仕方に、いまちょっと、壁はあるかな。なんにも間違っていないんだけど、だけど彼女が生きていくためには、そういった人たちと折り合える自分をつくっていくことを、教えていかなくてはいけない。それはやっぱり、矛盾だよね」
●人間関係の難しさって、よく大人の社会では言われるけど、本当は子供の社会でも存在しているからね。
「そう。そうなんです」
「胸を張って生きていられるかどうかだと思う」
●川村さんが11歳のときにのこととして、「死にたいと思ったけど、死ぬ手段がわからなかった」と書いています。
「うん、わからなかった。死にたかったけど、映画もそんなに見せてもらえるような時代ではなかったから。影響の悪そうな映画はテレビでやっていなかったし。見たとしても、包丁でブスっとか。かろうじてあったとしても、『これって、たぶん首つりなんだろうな』とか。あの当時は、いまほどいろんなものが解禁されてなかったから。唯一、カミソリで手首を切ればということくらいは、わかってはいたけど。手段を知らなかったことで、救われた部分はあるのかなぁ。やっぱり、いまのように情報が溢れていたら、私は生きてなかったと思う」
●そう思うと、怖いね。
「私は情報が怖いと思う。情報が、すごく怖い。だから、そこはすごく感謝しますね。情報がなかった、閉ざされた時代だったことは」
●いまの段階での感想として伺いたいんですが、1983年に、ソ連が大韓航空機を撃墜したとき、川村さんは、社会の授業中、教師に「この外道が!」と叫ばれましたね。
「うん。そんなの、いまなら国外追放ですよ(笑)。この国際的な社会で、なんていう発言を、という感じです。教師あるまじきとは、まさにこのことだなと思うし、自分の思想と職業を一緒にしてはいけないと思う。
そういう右翼的な考えがあってもいいとは思うんですよ。ただ、相手が子供だったりとか、自分の地域にそういう子供がいることだったりとか、大人ならもっと違った対処ができたのではないかと思うけど。いま、自分が大人になって思うのは、あの先生はそのレベルの先生でしてなかったというか、相手にすることもなかったんだなとは思う」
●いやいや。そのショックは、想像を絶するものでしょ。
「ただ、そのとき、”外道”という単語自体、そのときわかってないから。厳しく罵られたという漠然としたものはあったけど、その単語の意味のひどさがわからなかったの。先生のあの一言は、実はこういうことだとかってわかったのは、あとになってからだったから。でもやっぱり、その先生は一生恥じるべきだとは、すごく思う」
●その後、いろいろあってイギリスに留学することになりましたよね。そこで、留学先の仏教の学校について聞きたいんですが(笑)。
「(笑)。これはですね、仏教に興味があったわけではなく(笑)、仕方なく流れでその学校に行くことになったんです。でも、いい経験でしたよ(笑)」
●ぼく自身、イギリスに留学するのは、けっこう憧れてはいたんですが。
「寮制の学校は、基本的に本に書いたような感じだと思いますよ」
●相当、厳しかったみたいだね。
「厳しかったぁ。厳しかったけど、そんななかでも子供というのは、楽しみ方をそれなりに見つけるものだなって思った。それに、そこで仏教を勉強できたことは、いま思えばよかったし。そのときの縛られた規律に対して、そのリバウンドで、自由になろうという気持ちが、たぶん人一倍強くなれたんだと思うから。思春期の子供には、あれくらいがいいんじゃないかな(笑)」
●はははっ! でも、娘さんをその学校には行かせないでしょ?
「行かせないですね(笑)。やっぱり、子供は親の手元に置かないと駄目。遠く離れたところに送り飛ばすなんて。大人になってからやればいいから。私はすごく後悔してる。いまは親が片親だけど、あのとき、本当ならその三年間を親子で一緒に暮らせたはずなのに……。いまからは取り戻すことのできない三年で、きっと、親といろんな思い出がつくれた三年でもある。だけどあのときは、親元から離れたい一心で。だから私は、子供が未成年のうちは手元に置いておきたい」
●あのときはソ連に行きたくなかったんだよね。
「そう。行きたくなかったし、親から離れられるって、すごく自由を感じていて。 “やったー!” という気持ちがすごくあったし。実際、その当時は寮生活が厳しいと言っても、親の目がない生活って、やっぱりそれなりにおもしろいというか、独立した気分にはなっていたから。でも、もったいないことをした。親と一緒にいるべきだったなって、いまになって思う。独立なんて、大人になればいやでもするんだもん」
「本気になる楽しみを、そこで知ったんだと思う」
●だけど、いまは独立していない子がいっぱいいますよ。
「本当ですか? 別の意味で、でしょ? それはそれで、また問題ですけどね」
●これだけ自立していない人が、この国にいるんだって驚くくらい。
「どういった意識で自立しないのか、いつまで親と一緒にいるつもりなのか、ということだと思うんだけど、……駄目だね、日本(笑)」
●20代でも30代になっても、家賃の心配もいらない、食費や食事の心配もいらないんだから。
「贅沢病。ここだけちょっと極論を言えば、軍国主義でいいっていうくらい。それは、現実問題として軍国主義がいいということではないけど、韓国は徴兵制があるじゃないですか。二年間。そういうことでもしなければ、贅沢病はなかなか直らない気がするほど。これは極端すぎる発言かも知れないけど、もっと親のありがた味や、自由のありがた味がわかるようななにかをしないと、親も駄目になるし、子供も駄目になる」
●川村さんは、メシを食うために、釧路の蟹工場に住み込みで行っていますよね。それに、郵便局でも働きましたよね。
「はい」
●メシを食うためには、そういうことをするじゃないですか。
「やるよ。生活をしなきゃいけないから」
●そういう発想や行動力のない人が多いんだよね。
「ないし、家賃滞納もしかり、光熱費滞納もしかり、”どうにかなるぜ” っていう気持ちがあるんだと思うけど。でもそれは、胸を張って生きていられるかどうか。国に対してもそうだし、自分は間違ったことをしていないという気持ち。だから、私は人にスキを与えたくないから。年金問題で、”払ってないから”、ではないけど、なにも悪いことをしていなければ堂々としていられるところを、突っ込まれる訳じゃないですか。私はそういうことが嫌。常に堂々としていたいの。誰にも文句を言われたくないの。だから私は、しっかり生きていたいって思う」
●今回、会って一番言いたかったことは、川村カオリって、生きる本気度が、桁違いにすごい。
「あははっ! そうなの?(笑)」
●うん。少なくとも、ぼくはそういう印象を抱いています。いろんな人を見ていて思うのは、〈なんとかなるさ〉という気持ちが最初にある。なにかをやり遂げたあとではなくて。
「それは、もしかしたら親のDNAかも知れないし、親の教育だったのかも知れないし。私の場合は、父親の教育が反映されている。厳しくて真面目でまっすぐな人なので。最近、父親と似ているってすごく思うから。だから、ただ単純に、父親の教育でこうなったというのもあるし。
あとは、根っからのヤンキー娘だったから(笑)。不良の縦社会であったり、不良のなかでのルールは、教師が教えてくれることよりもすごく重要で、恩とか、情とか絆とか、人としてどうなのっていう。もちろん、やっていたことはいけないんだけれども、ただ、一番知らなくてはいけなかったことを、私は不良だった時代に先輩に教えてもらってそのままきただけで。そのときに、本気で自分たちのやりたいことをやるとかは、そこで覚えたことなのかな。自分がやりたいことのためには、本気で向かうしかない、ということとか。本気になる楽しみを、きっとそこで知ったんだと思う」
●本気で生きる覚悟のない人ってたくさんいるし、潔さも感じないけど、川村さんを見ていると、すごく潔いもんね。
「うん(笑)。でもそれは、もしかしたら、彼らのまわりにいる大人が生き生きとしていないからかも知れない」
●かといって、そういう大人たちを反面教師として見て、”こういう大人にはならないぞ”って、思うわけでもない。
「そうなんだよね(笑)。だから私は自分のまわりにいる子供たちにどうするかっていうことしかできないから、進んで保育園のPTAにもなるし。やっぱり、自分が中に入り込んでいかないと変えられないから。だから変えてますよ。自分のやれるところでは。まぁ、こんな私でも、PTAのお母さんたちは受け入れてくれるし、状況はすごくいい。だからいろんなアイディアを出して、これまでだったらやらなかったようなことを、今年度はやっているし」
「イベントの日時は確認するようになりましたね(笑)」
●次は、なかなかヘヴィな笑い話を。本当は笑い話ではないけど、撮影でローマへ行ったとき、ボブ・ディランのコンサートの日にちを間違えた話を。
「はははっ!」
●日にちを間違えただけなら単に笑い話で済むけど、会場に行ったらコンサートはやっていなくて、帰り道、公共交通機関もタクシーも、なにもない道を帰るのに、仕方なくヒッチハイクをして乗った車で、男に体を触られはじめて、走っている車から飛び降りて必死に逃げた。
「必死に逃げたねぇ。もう終わりだと思ったもんねぇ。街灯もなにもないような、真っ暗な林道だったのね。そのときの女の子の恐怖というのは、いま思えば ”なるほどね” というか……。真っ暗な道をひとりで歩いていて、男性の車に乗せられてしまうという」
●その車に乗るしか、帰る方法がない。
「そう。でも体は触られてくるし。だけどそのときも、きっと私はどこかで潔かったんだろうね。”やるなら、やれば” って」
●最後はね。
「最終的には。その一回で済むならそれでいいくらいの気持ちになったもん。その代わり、ローマまで送り届けてね、みたいな。そういう潔さはあった」
●だけど、一回目は、恐怖で車から飛び降りている。
「飛び降りた」
●本を読めば、映画のワンシーンのような情景が思い浮かぶんだけど、実際にはそんな心理状況じゃないよね。
「全然。そのときは思考回路が止まっていて、いまできることを精一杯考えていただけだと思うんだけど。でもあれは、やっぱり自分がいけなかったんだと思うよ。人生は、自己責任ですから(笑)」
●ただ、普通、コンサートの日にちを間違えるかなぁ(笑)。
「(笑)。そのスタジアムはすごく広かったんですよ。そこの、スタジアムの柱に、ボブ・ディランのポスターが貼られているんだけど、まるで映画のように、ポスターの端が風でピラピラ揺れているの。バタバタって。”あれっ? この静けさは、なに?” みたいな(笑)。あの映像とあの風は、いまでも忘れられない」
●文字通り、「風に吹かれて」。
「はははっ! そのときは、愕然としてそんな余裕もなかった(笑)。それからは、イベントの日時は、本当に確認するようになりましたね(笑)。あと、女の子ひとりで遠くに行かせたらいけない」
●一緒に行くと言っていたスタッフが、当日になって川村さんをひとりで行かせたもんね。
「うん。”行ってらっしゃい!” じゃないよね(笑)」
……この続きはPart.2で。来週も、どうぞお楽しみに。
また、インタビュー・オアシスでは、トップページの「過去のインタビュー」という項目で、アーティスト以外の、一般の方のインタビューも過去ログで掲載している。ご存知のない人物のインタビューが大半だと思うが、ひょっとしたら、そこでなにかを " 感じる " 機会になるかも知れない。もしもよかったら、時間のあるときにでも読んでみていただければ嬉しい。