2007年11月23日

川村カオリ(かわむら かおり)さん アーティスト[Part.1]

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プロフィール
ロシア生まれ。1988年、『ZOO』でソロデビュー。1999年から、ソロプロジェクト「SORROW」の制作活動を開始。その後、バンドスタイルへと移行し、自身のレーベルも立ち上げ、現在に至る。DJとしての活動も活発で、「Honey Hall」ほか多くのイベントをこなしている。また音楽以外でも、CMや映画での起用、モデルとしてファッション誌を賑わせるなど、ロック少女の間で憧れ的な存在。自身のアパレルブランド「Royal Pussy」では、毎シーズン斬新なアイテムを展開している。2001年には、待望の第一子、女児を出産。

川村カオリOfficial Web Site
http://www.calvaryltd.com
 
 ここに、一冊の自叙伝がある。タイトルは、『Helter Skelter(ヘルター・スケルター)』。著者は、川村カオリ。これは、2005年に宝島社から出版され、2007年に文庫化された本だ。ロシアで生まれ、日本でいじめられた幼少時代、国籍差別との闘い、情熱的な恋、母の死、妊娠、出産、夫・モトアキとの関係、そして、突然訪れた病を、赤裸々に綴っている。
 この本の文庫化にあたり、川村カオリは本の最後にコメントを寄せているが、そのなかの一節に、こう記している箇所がある。

「哀しみも喜びも、生きているからこそ、です。
まずは、生きること。
幸せになる方法と逃げる方法はいつでも側にありますから。
その鍵はあなたにしかありません」

 そんなふうに読者に伝える彼女とは、1988年のデビューのときに取材で出会ったのが最初だった。そのとき、彼女はたしか17歳くらいで、ぼくは20代の後半だった。ピュアな感性とまっすぐな性格に好感がもてる女性だった。彼女の書く詞も好きだった。
 それ以来、幾度となく取材をさせてもらっていたが、途中、10年近く会っていない時期がある。今回も、7年ぶりにオファーしたにもかかわらず、彼女は快く引き受けてくれた。最初の出会いから20年。彼女とぼくは全く別々の経験をしながら、異なるポジションで生きてきた。そして、ぼくにしてみれば40代になって初めて出会ったのに、彼女の第一声は、「末美さん、全然変わらないね」だった。
 今週から週に一度のアップ予定で、三回に渡り川村カオリのインタビューをお届けしたい。女性なら必読のインタビュー、とお伝えしても、さして過言ではないと思う。
 まずはそのPart1を、ここにお届けする。

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「母子家庭の辛さを日々感じています(笑)」

●今回、インタビューのオファーを出させてもらったときに、「《ヘルター・スケルター》 のその後」をひとつのキーワードに、取材させてくださいとお願いして。それで、” OK “の返事をいただいたんですが、その、ほんの2、3日後に、まさか離婚の記者会見があるとは思いもしませんでした(笑)。
「ヤフーのトップニュースで出ていましたね(笑)」
●記者会見の内容を知った瞬間は、このインタビューの内容をどうしようかと思いました(笑)。
「離婚届はふたりで出しに行って。カウンターで、離婚届が受理されるじゃないですか。で、担当の人が一度、奥にもっていったのね。そしたらモトアキくん、” ちょっと待って! 写メ撮らして “ って(笑)。 “ 俺のケータイ、駄目だ。カオリ撮って “ って。 “ 私たち、なにやってんだろうね “ って(笑)。
 そういう状態での離婚だったので、稀に見る円満な離婚だったと思います。たぶん、私にもモトアキくんにも悔いがなくて。子供がいるから、一生切れる縁じゃないこともわかっているし。普通の離婚と比べたら、すごく前向きでポジティブな、ふたりの関係がより一層よくなるための決断だったというのが、正直なところです。
 でも、その後、母子家庭の辛さを日々、しみじみと感じていますけどね」
●たとえば、どんなところで。
「私はモトアキくんのご両親とずっと一緒に暮らしていたんだけど、独立をすることになって、引っ越しをしようと思って申し込むじゃないですか。そうすると、母子家庭を理由に断られるんですよ」
●……考えられないね。
「考えられない。” 助けてくれるんじゃないの? “って。大家さん的には、” 離婚するということは、どこか破綻しているんじゃないか “ という見方をするらしくて、社会的な信頼性がないという烙印を押されて。それを理由に、四軒くらい断られた。ひどいところは、” 離婚の理由を教えてください “ とまで言われた。” はぁ? そんなこと、関係ないでしょ “ って。
 引っ越しでそういう目に遭うとは思っていなかったから、意外でしたね。てっきり、暖かい目で見られるものだとばかり思っていたから(笑)。そういうのとか、日本の福祉がいかに遅れているかということを、毎日のように思い知っているところです。日々、勉強ですね」
●本来は、暖かい手を差しのべてあげるべき存在なのに。
「うん。そう思っていたんだけどね」

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「人に裏切られるなんて思ってもいない子なの」

●で、今日は川村さんが書かれた『ヘルター・スケルター』の中から、ここに書かれている様々な出来事をピックアップさせてもらって、それに対してコメントをお願いします。
「はい。OKです」
●では、まずはじめに、いじめの話から聞かせてください。
「うん」
●給食の中に、ゴミやゴキブリを入れられた。
「でも、いまのいじめはそれ以上ですよ。ニュースを見る度に、私の時代はまだユルかったなって思う。もちろん、当時は衝撃的なことではあったけど……。個人名を使って、” 川村カオリを殺す会“ というのが存在していたこととか、……本には書けないこともいっぱいあって。給食にゴミやゴキブリを入れられたのは、まだいいほうだったのかな。
 子供の想像力と、子供の政治的な社会というのは、大人が思っている以上に陰湿で入りくんでいる。そのことは、私が11歳のときにはすでにわかっていたことだったので、ここ数年、いじめが取りざたされているけれども、大人のコメントを聞いて、” わかってない “って、すごく思う。子供をね、子供扱いしたら駄目。その辺のボーッとした大人よりもすごく頭が切れるし、ずる賢いし。本当に、ちゃんとピラミッドができてるの」
●縦社会。
「縦社会がちゃんとできていて、諦めるしか、方法がない。逃げるしかない。あとは、ひれ伏すしかない。私のときはそういう選択しかなかったし、たぶん、いまもそうだと思う」
●深刻なままだよね。
「深刻なまま。なぜなら、その本質を見抜かないからだと思う。ただ、自分が大人になって思うのは、”まさか“ ということは、どんな場所でも起きていて。親御さんにしてみたら、”まさかうちの子が“ というようなことだったりするんだけど。そういうことは身近でたくさん起きていて。
 みんながもっと緊張して生きていかないと、社会はバランスがとれないと思う。きれい事だけ並べていても、形だけ窓口をつくっても、意味がない。教師はもっと緊張すべきだと思うし、もっと気を引き締めて教員免許を取ってもらいたい。自分もそうだけど、大人は助けてくれない。見抜いてくれない。特に教師は助けてくれない。ましてや、いじめている子がPTAの会長の娘だったりすると、教師はなにもしないから」
●以前、2000年に、川村さんが結婚してまだ間もないときなんですが、インタビューをさせていただいたときに、川村さんはこう言っているんです。「こんな世の中に子供を産みたくない気持ちも少し……、社会に対して怖いな、いやだなって思う。安全じゃないって」と。
「へぇ〜。そうだったんだ。ただまあ、できてしまった生命は、流すことはできなかったし喜びのほうが大きかったから産んだけど……。その怖さは、彼女は来年小学校なんだけど、どんどん大人になるにつれて、より一層大きくなってきていますね。私が学校に付き添って行けるわけではないから、彼女がひとりでクリアするために、なにを教えられるのかということを、常に考えている。
彼女が帰ってくると、私はいろいろ聞き出そうとする。誰となにをしたのかとか、その日あった楽しいこと。その日あった悲しいこと。その日あったムカつくこと。そういったことを寝る前に必ず聞いて、友達関係を把握して。そういうことをいまやっているけど、やっぱり、私と同じような道を歩んでしまうのかなという不安はすごくある。クォーターといえども、パッと見た目は日本人ではないから。なにも間違ってはいないんだけど、すごくまっすぐ育ってくれて、すごく純粋で人にやさしくて、人に裏切られるなんて思ってもいない子なの。ズルさもなくて。
 だから、なんにも悪くないんだけど、逆にそれが怖い。打たれ弱いし、人がひどいことをするなんて、思ってもいない。『今日、友達にこんなことを言われた』って、すごく落ち込んで帰ってきたときに、私は『あっ、そっかぁ』と思ったの。5歳まで、まっすぐ生きることだけを教えてきちゃったと思って。これからはズルさも教えなきゃいけないんだと思うと……。矛盾しちゃう教育の仕方に、いまちょっと、壁はあるかな。なんにも間違っていないんだけど、だけど彼女が生きていくためには、そういった人たちと折り合える自分をつくっていくことを、教えていかなくてはいけない。それはやっぱり、矛盾だよね」
●人間関係の難しさって、よく大人の社会では言われるけど、本当は子供の社会でも存在しているからね。
「そう。そうなんです」

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「胸を張って生きていられるかどうかだと思う」

●川村さんが11歳のときにのこととして、「死にたいと思ったけど、死ぬ手段がわからなかった」と書いています。
「うん、わからなかった。死にたかったけど、映画もそんなに見せてもらえるような時代ではなかったから。影響の悪そうな映画はテレビでやっていなかったし。見たとしても、包丁でブスっとか。かろうじてあったとしても、『これって、たぶん首つりなんだろうな』とか。あの当時は、いまほどいろんなものが解禁されてなかったから。唯一、カミソリで手首を切ればということくらいは、わかってはいたけど。手段を知らなかったことで、救われた部分はあるのかなぁ。やっぱり、いまのように情報が溢れていたら、私は生きてなかったと思う」
●そう思うと、怖いね。
「私は情報が怖いと思う。情報が、すごく怖い。だから、そこはすごく感謝しますね。情報がなかった、閉ざされた時代だったことは」
●いまの段階での感想として伺いたいんですが、1983年に、ソ連が大韓航空機を撃墜したとき、川村さんは、社会の授業中、教師に「この外道が!」と叫ばれましたね。
「うん。そんなの、いまなら国外追放ですよ(笑)。この国際的な社会で、なんていう発言を、という感じです。教師あるまじきとは、まさにこのことだなと思うし、自分の思想と職業を一緒にしてはいけないと思う。
 そういう右翼的な考えがあってもいいとは思うんですよ。ただ、相手が子供だったりとか、自分の地域にそういう子供がいることだったりとか、大人ならもっと違った対処ができたのではないかと思うけど。いま、自分が大人になって思うのは、あの先生はそのレベルの先生でしてなかったというか、相手にすることもなかったんだなとは思う」
●いやいや。そのショックは、想像を絶するものでしょ。
「ただ、そのとき、”外道”という単語自体、そのときわかってないから。厳しく罵られたという漠然としたものはあったけど、その単語の意味のひどさがわからなかったの。先生のあの一言は、実はこういうことだとかってわかったのは、あとになってからだったから。でもやっぱり、その先生は一生恥じるべきだとは、すごく思う」
●その後、いろいろあってイギリスに留学することになりましたよね。そこで、留学先の仏教の学校について聞きたいんですが(笑)。
「(笑)。これはですね、仏教に興味があったわけではなく(笑)、仕方なく流れでその学校に行くことになったんです。でも、いい経験でしたよ(笑)」
●ぼく自身、イギリスに留学するのは、けっこう憧れてはいたんですが。
「寮制の学校は、基本的に本に書いたような感じだと思いますよ」
●相当、厳しかったみたいだね。
「厳しかったぁ。厳しかったけど、そんななかでも子供というのは、楽しみ方をそれなりに見つけるものだなって思った。それに、そこで仏教を勉強できたことは、いま思えばよかったし。そのときの縛られた規律に対して、そのリバウンドで、自由になろうという気持ちが、たぶん人一倍強くなれたんだと思うから。思春期の子供には、あれくらいがいいんじゃないかな(笑)」
●はははっ! でも、娘さんをその学校には行かせないでしょ?
「行かせないですね(笑)。やっぱり、子供は親の手元に置かないと駄目。遠く離れたところに送り飛ばすなんて。大人になってからやればいいから。私はすごく後悔してる。いまは親が片親だけど、あのとき、本当ならその三年間を親子で一緒に暮らせたはずなのに……。いまからは取り戻すことのできない三年で、きっと、親といろんな思い出がつくれた三年でもある。だけどあのときは、親元から離れたい一心で。だから私は、子供が未成年のうちは手元に置いておきたい」
●あのときはソ連に行きたくなかったんだよね。
「そう。行きたくなかったし、親から離れられるって、すごく自由を感じていて。 “やったー!” という気持ちがすごくあったし。実際、その当時は寮生活が厳しいと言っても、親の目がない生活って、やっぱりそれなりにおもしろいというか、独立した気分にはなっていたから。でも、もったいないことをした。親と一緒にいるべきだったなって、いまになって思う。独立なんて、大人になればいやでもするんだもん」

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「本気になる楽しみを、そこで知ったんだと思う」

●だけど、いまは独立していない子がいっぱいいますよ。
「本当ですか? 別の意味で、でしょ? それはそれで、また問題ですけどね」
●これだけ自立していない人が、この国にいるんだって驚くくらい。
「どういった意識で自立しないのか、いつまで親と一緒にいるつもりなのか、ということだと思うんだけど、……駄目だね、日本(笑)」
●20代でも30代になっても、家賃の心配もいらない、食費や食事の心配もいらないんだから。
「贅沢病。ここだけちょっと極論を言えば、軍国主義でいいっていうくらい。それは、現実問題として軍国主義がいいということではないけど、韓国は徴兵制があるじゃないですか。二年間。そういうことでもしなければ、贅沢病はなかなか直らない気がするほど。これは極端すぎる発言かも知れないけど、もっと親のありがた味や、自由のありがた味がわかるようななにかをしないと、親も駄目になるし、子供も駄目になる」
●川村さんは、メシを食うために、釧路の蟹工場に住み込みで行っていますよね。それに、郵便局でも働きましたよね。
「はい」
●メシを食うためには、そういうことをするじゃないですか。
「やるよ。生活をしなきゃいけないから」
●そういう発想や行動力のない人が多いんだよね。
「ないし、家賃滞納もしかり、光熱費滞納もしかり、”どうにかなるぜ” っていう気持ちがあるんだと思うけど。でもそれは、胸を張って生きていられるかどうか。国に対してもそうだし、自分は間違ったことをしていないという気持ち。だから、私は人にスキを与えたくないから。年金問題で、”払ってないから”、ではないけど、なにも悪いことをしていなければ堂々としていられるところを、突っ込まれる訳じゃないですか。私はそういうことが嫌。常に堂々としていたいの。誰にも文句を言われたくないの。だから私は、しっかり生きていたいって思う」
●今回、会って一番言いたかったことは、川村カオリって、生きる本気度が、桁違いにすごい。
「あははっ! そうなの?(笑)」
●うん。少なくとも、ぼくはそういう印象を抱いています。いろんな人を見ていて思うのは、〈なんとかなるさ〉という気持ちが最初にある。なにかをやり遂げたあとではなくて。
「それは、もしかしたら親のDNAかも知れないし、親の教育だったのかも知れないし。私の場合は、父親の教育が反映されている。厳しくて真面目でまっすぐな人なので。最近、父親と似ているってすごく思うから。だから、ただ単純に、父親の教育でこうなったというのもあるし。
 あとは、根っからのヤンキー娘だったから(笑)。不良の縦社会であったり、不良のなかでのルールは、教師が教えてくれることよりもすごく重要で、恩とか、情とか絆とか、人としてどうなのっていう。もちろん、やっていたことはいけないんだけれども、ただ、一番知らなくてはいけなかったことを、私は不良だった時代に先輩に教えてもらってそのままきただけで。そのときに、本気で自分たちのやりたいことをやるとかは、そこで覚えたことなのかな。自分がやりたいことのためには、本気で向かうしかない、ということとか。本気になる楽しみを、きっとそこで知ったんだと思う」
●本気で生きる覚悟のない人ってたくさんいるし、潔さも感じないけど、川村さんを見ていると、すごく潔いもんね。
「うん(笑)。でもそれは、もしかしたら、彼らのまわりにいる大人が生き生きとしていないからかも知れない」
●かといって、そういう大人たちを反面教師として見て、”こういう大人にはならないぞ”って、思うわけでもない。
「そうなんだよね(笑)。だから私は自分のまわりにいる子供たちにどうするかっていうことしかできないから、進んで保育園のPTAにもなるし。やっぱり、自分が中に入り込んでいかないと変えられないから。だから変えてますよ。自分のやれるところでは。まぁ、こんな私でも、PTAのお母さんたちは受け入れてくれるし、状況はすごくいい。だからいろんなアイディアを出して、これまでだったらやらなかったようなことを、今年度はやっているし」

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「イベントの日時は確認するようになりましたね(笑)」

●次は、なかなかヘヴィな笑い話を。本当は笑い話ではないけど、撮影でローマへ行ったとき、ボブ・ディランのコンサートの日にちを間違えた話を。
「はははっ!」
●日にちを間違えただけなら単に笑い話で済むけど、会場に行ったらコンサートはやっていなくて、帰り道、公共交通機関もタクシーも、なにもない道を帰るのに、仕方なくヒッチハイクをして乗った車で、男に体を触られはじめて、走っている車から飛び降りて必死に逃げた。
「必死に逃げたねぇ。もう終わりだと思ったもんねぇ。街灯もなにもないような、真っ暗な林道だったのね。そのときの女の子の恐怖というのは、いま思えば ”なるほどね” というか……。真っ暗な道をひとりで歩いていて、男性の車に乗せられてしまうという」
●その車に乗るしか、帰る方法がない。
「そう。でも体は触られてくるし。だけどそのときも、きっと私はどこかで潔かったんだろうね。”やるなら、やれば” って」
●最後はね。
「最終的には。その一回で済むならそれでいいくらいの気持ちになったもん。その代わり、ローマまで送り届けてね、みたいな。そういう潔さはあった」
●だけど、一回目は、恐怖で車から飛び降りている。
「飛び降りた」
●本を読めば、映画のワンシーンのような情景が思い浮かぶんだけど、実際にはそんな心理状況じゃないよね。
「全然。そのときは思考回路が止まっていて、いまできることを精一杯考えていただけだと思うんだけど。でもあれは、やっぱり自分がいけなかったんだと思うよ。人生は、自己責任ですから(笑)」
●ただ、普通、コンサートの日にちを間違えるかなぁ(笑)。
「(笑)。そのスタジアムはすごく広かったんですよ。そこの、スタジアムの柱に、ボブ・ディランのポスターが貼られているんだけど、まるで映画のように、ポスターの端が風でピラピラ揺れているの。バタバタって。”あれっ? この静けさは、なに?” みたいな(笑)。あの映像とあの風は、いまでも忘れられない」
●文字通り、「風に吹かれて」。
「はははっ! そのときは、愕然としてそんな余裕もなかった(笑)。それからは、イベントの日時は、本当に確認するようになりましたね(笑)。あと、女の子ひとりで遠くに行かせたらいけない」
●一緒に行くと言っていたスタッフが、当日になって川村さんをひとりで行かせたもんね。
「うん。”行ってらっしゃい!” じゃないよね(笑)」



……この続きはPart.2で。来週も、どうぞお楽しみに。

 また、インタビュー・オアシスでは、トップページの「過去のインタビュー」という項目で、アーティスト以外の、一般の方のインタビューも過去ログで掲載している。ご存知のない人物のインタビューが大半だと思うが、ひょっとしたら、そこでなにかを " 感じる " 機会になるかも知れない。もしもよかったら、時間のあるときにでも読んでみていただければ嬉しい。
posted by suemi at 02:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 川村カオリさん

2007年11月30日

川村カオリ(かわむら かおり)さん アーティスト[Part.2]

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プロフィール
ロシア生まれ。1988年、『ZOO』でソロデビュー。1999年から、ソロプロジェクト「SORROW」の制作活動を開始。その後、バンドスタイルへと移行し、自身のレーベルも立ち上げ、現在に至る。DJとしての活動も活発で、「Honey Hall」ほか多くのイベントをこなしている。また音楽以外でも、CMや映画での起用、モデルとしてファッション誌を賑わせるなど、ロック少女の間で憧れ的な存在。自身のアパレルブランド「Royal Pussy」では、毎シーズン斬新なアイテムを展開している。2001年には、待望の第一子、女児を出産。

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 前回に続き、川村カオリさんのインタビュー、今回はそのPart.2をここにお届けする。なお、今回はじめてこのインタビューを目にしていただいた人は、大変申し訳ないが、ページをたどって、先にPart.1を読んでから、そのあとで、ここからはじまるPart.2を読んでいただければ嬉しい。

「200万円の現金が入った封筒を電話ボックスに忘れて」

●ここで、ちょっと話を戻させてください。
「はい」
●イギリスで寮生活を送っていて、その最中にアーティストとしてデビューが決まったときに、友達の身代わりになって留置所に入りましたね。
「一泊でした(笑)」
●身代わりで行くというのが、川村さんらしいなと思いました。
「まぁ、イギリスの留置所はどういうところか、知りたかったのもあるし」
●いやいや、それはないでしょ(笑)。
「(笑)。ブラックリストに載っても、一年で消えることも知っていたし、いろんな情報が入っていたことによって、私はすんなり行けたかな。それと、私はデビューが決まっていたのに対して、彼女はすごく家が厳しい子だったので、あまりにも青ざめているのを見て、私は失うものがないもないし、うちの両親には、私が説明したらわかってくれることを知っていたから、両親にきちんと話せば咎められないって知っていたこともある。実際に話したときも、”そうだったんだ” で終わったし」
●それと、JALのCMの話を。あのときは、テレビからなにから、大々的な露出でした。
「あれは素晴らしかったねぇ。ドキドキしていた。クオリティが高かったし、コマーシャルを見ていても、きれいで自分じゃないみたいだった。とっても充実した仕事だったことを覚えてる。
 JALのコマーシャルをやったご褒美で、はじめて車を買ったの。日産のパオを。あの当時、ギャラは全部事務所だから、”JALのCMをやったのに、なんにもないなんて信じられない!” って言ったら、”じゃあ、車でも買えばいいじゃない” って」
●パオが欲しかったんだ。
「すっごく欲しかった。新車で買ったので、250万か、300万円近くしたと思うんだよね。はじめての大きな買い物だったし。実は、そのとき、車を買うための現金を事務所から封筒で渡されて、その当時は携帯電話がないから公衆電話でしゃべって、その200万円くらい入った封筒を電話ボックスに置き忘れたの」
●うそ。
「ほんと(笑)。車のお金を払いに行くとき。”あれっ!? あれっ!? 封筒がない!!”。で、慌てて戻ったら、封筒があったの。その間、たぶん15分か20分の話なんだけど、そのときは、もらいたての200万円の現金が入った封筒を、たかが電話一本ですっかり忘れて。あのときは震えましたね(笑)」
●それは震えるよねぇ。
「まあ、そのそそっかしさは、いまも変わらないんですけどね(笑)」

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「あの手紙をくれた人には、いまでも感謝している」

●川村さんが20歳の頃、当時大統領だったゴルバチョフさんが来日されたとき、晩餐会への招待状が届きましたね。それってすごい話ですよね。
「そうですよねぇ。それでそのとき、筑紫哲也さんから声をかけていただいたんですよ。あれは嬉しかった。その当時のニュースのキャスターで一番好きなキャスターだったから。すごく眼力のある人で、強い印象がありましたね。
 あの当時はいろんな人が応援してくれていて、五木寛之さんも、自分の講演会によくゲストで呼んでくれたし、生島ヒロシさんも、よくテレビやラジオで私の名前を言ってくれたりとか。そういった文化人の方に応援していただいていた時代だったんですよね」
●ゴルバチョフさんとも会い、「東京の休日」という映画で主演もし、JALのCMで大々的に露出されて順風満帆に見えるなか、レコード会社のディレクターとモメて、そのあと、思わぬ方向に人生の舵が切られましたね。
「その人は、いまもこの業界でがんばっているみたいなので、あの本は別に暴露本ではないから、比較的名前は出していないんですけどね。言うなれば、私のデビューの仕掛け人みたいな人でした」
●川村さんは、そのディレクターに、「お前は俺が首輪つけてやったんだよ。犬は犬らしく、主人の言うことを聞いていればいいんだ」と、言われたそうですね。
「うん。そう、はっきりと言われたんです。普通、そんなこと言えないよね。そのときのことは、どこで言われたのかもはっきり覚えているもん。イギリスのヒースロー空港の、あの場所でって」
●結局、その発言は、いまの音楽業界の全体像をイメージできる、象徴的な言葉かなって思います。
「それは、会社というものだったりもするだろうし」
●だから、音楽を聴く人には、音楽を聴く耳を育ててもらいたい。
「うん。でもいまは、時代が変わってアーティストが自立して、インディーズというシーンが出来上がって、首輪がなくても吠えることができる時代になってきているので、そういったアーティストは少なくなってきているとは思うんですけど」
●そこから歯車が狂って、事務所から切られた形になった。
「というか、私が勝手にやめたんです」
●ただ、そのときはとても心細かったんじゃないかと思うけど、その辺はいかがですか。
「そのときは、私を支えてくれていた当時のマネージャーがいて、彼女がいたから、なにも怖くはなかった」
●だけど、事務所の社長はなにも本当のことを知らなかった。
「知らない。いまでも知っているのかどうかはわからないけど。やっぱり、あれはとても悔しい出来事だった。私が所属していた事務所の社長には、真実をちゃんと知って欲しかったというのがあるし。ただ、私もいろんな役職のついた方に間に入ってもらいたくて事実を話したけど、事実を受け入れてくれなかった。”そんなわけがない“って。結局、子犬がキャンキャン鳴いてる戯言(たわごと)でしかなかったことによって、”お前の妄想だろ“ で終わってしまったことは、私自身、結果的に自分のことを”子供でいたくない“ という気持ちにさせたんです。
 最初は、”大人になりたくない“ という気持ちがあったけど、あの瞬間からですね、”子供なんかでいたくない。早く大人になりたい“ と思うようになったのは。そういう気持ちがすごく強くなって、早く30代になりたくて。25よりも30みたいな(笑)。早く大人になりたいという気持ちがすごく強くなった」
●そういうことがあると、レコーディングはきつかった。
「いくつかのパターンのチャンネルはもっていたから、つくっているときは純粋に楽しんで。家に帰ってうなだれて、みたいな繰り返しだった(笑)。
 ただ、チャンネルはあったけど、日比谷野外音楽堂でコンサートをやったときに、私に ”やめます”って言わせたのは、やっぱり積もり積もったものがあったから。ファンの人たちが私の存在と私の歌を信じて、私の唄っている姿を一生懸命見ているまっすぐな目を見て、私はまっすぐ唄ってないと思ったの。
 そう思ってしまったことが、それまではどうにかなるさって気持ちがあったのに、”もう無理。ステージに立てない“ という気持ちに変化させてしまった。ステージ上で嘘だけはつきたくないという気持ちが極限まで強くなってしまって。それで、アンコールのときに、”やめます”って言ったの」
●コンサートがはじまる前は、ファンの前でやめるなんて言う気持ちはなかった。
「全然なかった。ただ、ライブがはじまる前に、ファンからの差し入れで、たまたま開けたプレゼントのなかに手紙が入っていて、その手紙に、〈築き上げたものをいつでも壊せるあなたでいてください〉って書いてあったの。それで、星の王子さまの絵が色鉛筆で描いてあって。
 それは、いま思い出したことなんだけど、最初の心理状況は、ただ単に、”星の王子さまだ “って思っただけだったと思う。ところが、たぶんその〈築き上げたものをいつでも壊せるあなたでいてください〉という言葉が残っていて、唄っている最中にどんどん込み上げてきたというか。アンコール前に楽屋に戻ったときに、〈築き上げたものを壊せる私〉って……って、フィードバックしちゃったの。〈それって、いまか〉、〈壊すのは、いまか〉、〈じゃあ、わかった。壊すよ〉。そう思ってアンコールに出ていったのは覚えてる」
●タイミングだねぇ。
「うん。誰が書いてくれたかは、わからないけどね」
●もしもあのとき、その手紙を読んでいなかったら。
「”やめます”って、言っていなかったかも知れない」
●また違う人生があったかも知れない。
「うん。不思議だけど、出会ったこともないかも知れないけど、人間って共鳴し合って生きているというか。そういうことを感じる。あの手紙をくれた人が誰かはわからないけど、いまでも感謝しているし」

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「自分が成長しないとバランスはとれない」

●さっきも自立という言葉が出たけど、一般的にいう自立よりも深いなと思ったのは、一旦アーティスト活動をやめてニューヨークに渡り、ふたたび日本に戻ったときに、川村さんは自立する決心をしています。その自立とは、恋人からの自立も含めて。そこを読んだとき、恋人からの自立を考える女性がいるんだと思いました。
「いますよ。私のまわりにもいっぱいいた。”このままだと、自分が駄目になる” という意識。なんでも恋人にフォローしてもらえるから。自分が成長しないという、漠然とした不安。このままでいいの?って。きっとまだ知らなくてはいけないことや、もっとしなくてはいけない経験もあるのに、このままこの人といたら、きっと全部フォローしてもらって、全部段取りをしてもらって。それは、きっといけないことだと思ったんですね。そういうふうに、たぶん、24、5歳の女性は、”このままでいいのかな”って、一回立ち止まることがと思う」
●でも、男としては、それを聞くと難しい。
「そう。男性としては、なにも間違ってないの。自分ができることをしてあげていて、愛情表現でしかないのに、”それで、なにが駄目なの?”って話じゃない?(笑)」
●極論を言うと、そこにいく(笑)。
「極論を言うとね(笑)。”俺のなにが駄目なの!?”ってことだと思うんだけど、刺激だけでも駄目なんですよ」
●それは、わかります。
「うん。”じゃあ、どうしたらいいの?”って言われても、未だに答えは出ないんですけどね」
●バランスかなぁ。
「結局、バランスというのは、自分自身が成熟しないととれないんですよ。相手に求めてはいけないことだと思う。自分がバランスをとれていれば、相手が誰であっても、バランスはとれるんです。それは、今回の結婚生活で得た答えですけど(笑)」
●ここで、お母さんの話を聞かせてください。当時のJフォンという、非常に大きなCMが決まったとき、川村さんはお母さんに喜んでもらおうと思って電話をされたわけですが、タイミングを逃して言えなかった。その翌日にお母さんは亡くなってしまわれて。あのとき、お母さんにCMが決まったことを言えなかったことについて、いまも後悔が残っていますか。
「残っていますね。本当にわかりやすいんですけど、親は新聞とか、テレビなどに出ることが、一番嬉しいんですよ。私がそこに充実感を得る、得ないではなくて、一般的にみんなが目にするもの。たとえば、私が『笑っていいとも!』に出演したときとか。そういったものに出るととっても喜んでくれるし、周囲に言って歩くのよね(笑)」
●「カオリがテレビに出たのよね」って。
「そう。そうやって嬉しそうにしゃべる顔も知っているから。それまで、JALやパナソニックのCMのあと、何年も広告なんてやってなかったから、5、6年ぶりくらいの大きな、両親が喜ぶ仕事。これを言えば、お母さんの病気が多少でも楽になればいいなと。嬉しいことが増えることによって、ちょっとは痛みが減ればいいなっていう気持ちがあったんだけど、タイミングですよね。〈ごめんね、電話をかけ直すね〉っていう一言を……。たった三秒くらいのことじゃないですか。たった一言、〈テレビのコマーシャルが決まったの!〉って、どうしてあのとき、いつものような勢いで言わなかったんだろうって……」
●いつものような勢いだったら、言っていた。
「言っていた。でもそのときは、母親のだるそうな声に……」
●気を遣った。
「気を遣っちゃったの。(今日はだるそうだな。しんどいのかな)と思って、〈わかったよ。また電話をするね〉って」
●まさか、次の日にあんなことになるなんて、考えもしないもんね。
「うん。それはいまでもやっぱり……。もしもあのときCMが決まったって言えていたら、なにかが違った形でいくこともできたんじゃないかなとは、思うけど。だから、そういった経験もあって、いま父親と話すときは、思ったことはできるだけ言うようにしている。あとで、というのは、もうやめようと思って。いま言えることは、いま言う。それは、身につきましたね。いいニュースなら、なおさら。もったいぶらない(笑)。妙な気を遣わない」
●遠慮しない。
「遠慮しない!!」

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「もっと主婦をリスぺクトしないと駄目」

●川村さんは、1999年にご結婚されました。
「はい」
●もともと、結婚願望というのは。
「なかった。全然なかった。だけど、大恋愛ってあるんですねぇ。結婚にまっすぐつながるような恋愛だったから、自分でも意外だった」
●アプローチはずっとかけられながら、12月24日に「結婚しようよ」と言ったのは、川村さんのほうからなんですよね。
「そう、私」
●そこが、川村さんらしい(笑)。
「んふふっ(笑)。でも、この人と結婚するのが当たり前だと思ったし、たぶん、人生最大の大恋愛だったと思うから。そのときに、《恋は盲目》ということを、本当にはじめて知ったので。それはモトアキくんも、まさか自分が結婚するなんて思ってもなかっただろうし。でも結婚て、そういうものよね(笑)」
●そういうものでしょ。
「うん。そういうものよね」
●クリスマスイブに言おうというのは、けっこう前から考えていた。
「考えていた(笑)。どういうシチュエーションで返事をするのが、一番彼を喜ばせられるかなって考えていて、それでクリスマスイブに。私のほうから」
●すごくやさしい人だね。
「えっ? なんで?(笑)」
●彼が最大限喜ぶことを想定する。
「同じことをするなら、って思いますね。きっと、私は企むことが好きなんだと思う。それを最大限効果的にできる方法を考えるのが好きで。遊び心、というやつかな。でも、わかりやすいというか、人にしてもらいたいことを、自分が人にしているだけなので、辿っていくと、”お前はそういうことをして欲しいんだね” っていうことなんだけどね(笑)。たぶん、人の心理ってそういうことだと思うのね」
●で、川村さんは二度の流産を経て、結果的にはお子さんに恵まれたんですが、最初は、卵子自体がつくりにくい体だと言われていて。
「”子供はできないと思ってくれ” って言われていた」
●なのに、できて。ここでまた日本人の話になりますが、川村さんが妊婦さんのときに……。
「電車の事件ですね」
●電車の事件。シルバーシートで新聞を読んでいる男性に「座らせてください」と頼んだら、「妊婦は病気じゃないでしょ」と言われた。
「そう。おじさんが新聞を読みながら。”お前は誰から産まれたんだ!”って思いましたよね。この国は、妊婦にやさしくない」
●だけど、そんなことを言う男がいるなんて、考えられない。
「でも、よくよく聞いてみたら、似たようなことをみんな経験してるのよ。それは、ひょっとしたら東京だけかも知れないけど。
 あと、ベビーカーを畳む時間がないから、駅の階段をベビーカーごと運ぶお母さんがたくさんいるんだけど、男性は誰も助けないのね。ヨーロッパでは考えられないですよ。だから、妊婦を助けるのは、妊婦なんですよ。女性を助けるのは、女性なの。ましてや、妊婦の多くがそういうことを経験しているということは、よほど男性というものが、日本ではそういうものだ、みたいな。そうなってきているのかなって思う」
●きっと、武士だったらやさしかったと思う。
「きっとやさしいよね」
●だから、きっと武士道もないんですよ。
「ないです。武士道なんか、ない。……ない!(笑)。”あなたたち、誰から産まれたの?”って、本当に思う」
●この話を読んだとき、非常にショックでした。
「私も(笑)。これが《北斗の拳》だったら、一言ですよ。”お前はもう死んでいる”って(笑)。そういうレベルですよ。だから、まだまだ戦うべきところはたくさんありますよね。国会でワケのわかんないことを討論している場合ではないんですよ。事件は身近なところできているんです(笑)。
 もっと、主婦をリスぺクトしなくては駄目。主婦はなにもしていない人じゃないの。家を守っていて、仕事量もすごくあり、しかも、見返りのない、報酬のない、マザーテレサに近い、尊い職業なの。それなのに、主婦の税金控除をなくすなんて、意味がわかんない。あり得ない。世の中のどんな実業家よりも、主婦が一番偉い。本当にそう思う。
 だって働いていると、私は言い訳するもん。”ママは働いているからしょうがないじゃん” とか(笑)。”だって疲れちゃったんだもん。掃除機をかけられなくてごめんね” とか。それが主婦にはないもの。言い訳ができないから。だから働いている人よりも偉いと思うし、若くて産んでいるお母さんもすごく偉いと思う」

「子供の尊さやまっすぐな気持ちを、私は守りたい」

●それで思い出したけど、本の中で避妊について書いていましたね。
「うん。私、自分の産婦人科の主治医と仲がいいのでいろいろ聞くんだけど、いろんな病気が増えているのね。で、親からあまりちゃんと避妊を教えられていないみたいなので。そういうことはあるんだと思うけど、ありふれた言い方で申し訳ないけど、自分の体を守れるのは、自分しかいないのね。セックスをするということは、やっぱり代償もあるわけだから。楽しいだけではないということを、きちんと知らないと取り返しがつかなくなってしまうから。避妊は、自分でちゃんとしないといけないよね」
●結果的に不幸な子供たちができているということもあるし。そういえば、今日も母親が一歳になる自分の子供をコンクリート詰めにして殺したというニュースがありました。
「ほんと? もういや。子供絡みのニュースは、もういや。一歳っていったら、一番可愛いときじゃん。泣くのが仕事、汚すのが仕事。もちろん、怒るときは怒るけど。やっぱり、ないのは、親の精神力だね。なんかねぇ、ユルい。すごくユルい。
 とにかく、最近のニュースは胸が痛いです。種類が変わってきて、感情論ではなくなってきているから。ただ単純に、深く病んでいるだけであって。でも、そのときに救いの手を別の人に求めるでしょ? “自分で這い上がって来いよ”って思う。私は、精神病のなにがそんなに偉いのかがわかんない。どうして守らなくてはいけないのかもわかんない」
●殺人事件などの裁判では、弁護士はそこを強調するもんね。
「うん。いろいろ絡んでくるから、難しい問題ですけどね。でも、……こうなってしまったのは、なにがいけなかったんですかね」
●なにかを忘れてきたことは、間違いないでしょ。
「それは、一体いつから?って話なの。どうして? なにがきっかけで? だって、昭和の最初の頃って、みんなしあわせそうじゃん」
●わからないけど、ひょっとしたら、ものの豊かさを心の豊かさと勘違いしはじめてからかも知れない。
「そうなのかなぁ」
●いまは、自分はどういうときがしあわせなのか、自問自答する必要があるけど、昔はそんな余裕すらなく、日々、今日のメシの種をなんとかしなくてはいけないから、生命力があった。
「うん。生きるのに精一杯だからね。だから、うちの子はまだ五歳だけど、”戦争はどうして起きてしまうの?”って聞いてくるの」
●質問するんだ。
「そう。”北朝鮮は、どうして喧嘩が好きなの” とか、”どうしてやさしくないの?” とか、五歳で聞いてくるから(笑)」
●親に似たんだ。
「(笑)。”日本で一番偉い人は誰? 社長? 首相? どっち?”。それなら首相かな、みたいな(笑)。五歳でそんなことを聞いてくるの。”どうしてそんなことを聞いてくるの?”って聞いたら、”《ホタルの墓》を見たから”って。
 そんなところから、今度は、”戦争は、誰と誰がしているの?”って聞いてきて。想像が働いて、いろんなことを聞いてくるの。私は、”トップ同士の喧嘩だよ”って話はしたんだけど、”それなら上の人だけでやればいいじゃない”って。”どうして関係ない人が悲しい思いをするんだろうね”って言うから、こちらもシンプルに、”そうなんだよね”って。
 そういう子供たちをどうするかと言うことのほうが、いまの社会をどうこうするよりもすごく前向きで楽しい。子供の尊さやまっすぐな気持ちを、私は守りたい。いまの病んだ大人は、放っておけばいい(笑)。病んだままでいい。それよりも、未来のある子供たちをどうしようということの方が意味があるのかなって思う。
 そんななかで、私ができることは、それがPTAであっても、どんどん関わっていきたいと思うし、自分がハーフだとか、タトゥーが入っているということで遠慮せずにやっていきたい」



……この続きはPart.3で。来週も、どうぞお楽しみに!
posted by suemi at 02:00| Comment(0) | 川村カオリさん

2007年12月07日

川村カオリ(かわむら かおり)さん アーティスト[Part.3]

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プロフィール
ロシア生まれ。1988年、『ZOO』でソロデビュー。1999年から、ソロプロジェクト「SORROW」の制作活動を開始。その後、バンドスタイルへと移行し、自身のレーベルも立ち上げ、現在に至る。DJとしての活動も活発で、「Honey Hall」ほか多くのイベントをこなしている。また音楽以外でも、CMや映画での起用、モデルとしてファッション誌を賑わせるなど、ロック少女の間で憧れ的な存在。自身のアパレルブランド「Royal Pussy」では、毎シーズン斬新なアイテムを展開している。2001年には、待望の第一子、女児を出産。

川村カオリOfficial Web Site
http://www.calvaryltd.com

 いよいよ最終回となるインタビューのPart.3を、ここにお届けしたい。今回、久しぶりに会った川村カオリは、10代の頃と変わらずにピュアな印象と誠実さを残しつつ、信じられないくらい魅力的な女性になっていた。そして、実際に話してみて、彼女の真摯な生き方にこれまで以上に共感を抱いた。今後、いつか機会があれば、ぜひまたインタビューをしたい。彼女に会う度に感じるひたむきさは、常にぼくを勇気づけてくれる。それはきっと、今回のインタビューを読んでくれる方々も少なからず似た感情を抱いてくれるように思う。
 なお、せっかくなので、時間等に余裕のある方は、いま一度Part.1に戻って、そこから順に、一気に読んでいだくのもいいかもしれない。
 それでは、最終回。インタビューのPart.3をじっくり読んでみてください。

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「自分のフィルターをかけられる意志を持つこと」

●川村さんは、お父さんの生活費を助けるためと、着たい服がなければ自分たちでつくるという発想の元で、《ロイヤル・プッシー》というブランドを立ち上げられて、試行錯誤を繰り返しながらでも、ずっと売れていますよね。
「うん。実は、《ロイヤル・プッシー》は会社組織にする前の、1998年から存在していたんです。その当時ですでに《ビームス》とも取引があって、これは会社にしないとマズという流れだったから。正直に言って、立ち上げはまったくバタバタしていなかった。スムーズに立ち上げて。地方の子たちも協力的だったし。いまのレールは苦労することなくつくれて。でもやっぱり、立ち上げてからのほうが大変でしたね、会社って(笑)」
●現状、仕事のメインは?
「現状は、やっぱりアパレルになりますね。あと、クラブイベントの企画がメインかな。音楽は期限がないから、出来たときに出せばいいけど、アパレルは季節があり、展示会という決まったものがあって止めるわけにはいかないから。ただ、スタッフかすごく育ってきているので、少しずつ離れてはいけるんだけど」
●《ロイヤル・プッシー》に関して、これからやりたいことは。
「自分たちがつくっているものにはとても自信があるんだけど、量販店にはかなわない部分もあって。それはやっぱり、値段。コストの問題なんだけど。しょうがないんですけどね。大企業がお金をかけて、いいものを安く大量生産できている現状では、消費者からしたら、願ったりかなったりの話だから。だけど、同業者からしたらすごく辛い。”その商品を、その値段で売るの!?” みたいな(笑)。
 だから地味だけど、いまの顧客をどこまで大切にできるか。そんな状況のなかでも選んで買ってくれているわけだから。ただ、会社を大きくしたいという気持ちは、すごくある」
●あっ、そうなんだ。
「うん。洋服がどうというより、……もちろん洋服も好きではじめたし、音楽も好きでやっているけど、経営者になってしまうと、会社をどう大きくするかっていうことは、常に考えています」
●毎日が大変ですね。
「できることなら、休みたい(笑)。本当に休みたいって思うけど、どうしてインターネットなんかがあるんだろうね(笑)」
●どういうこと?
「ロシアに里帰りしてもどこに行っても、常にオンラインだからね(笑)」
●逃げられない(笑)。
「”明日、原稿をお願いします”。”え〜、フランスにいるのに” みたいな(笑)。”デザインをチェックしてください” とか。”なんだ、インターネットって。逃げたいのに!”(笑)。ケータイも、グローバルなんかいらない(笑)」
●本の中に、パティ・スミスの自伝を読んで、彼女の育児観に共感したと書いてありましたね。
「もともとパティ・スミスの音楽には興味がなかったんだけど、自伝を読んで、楽になったんですよね。彼女の生き方。母としてのあり方が、”このスタンス、アリなんだ” というものだったの。ヒントをもらえた気がして。それは離婚にも、生き方全部にも関わってくるんだけど。
 パティ・スミスの自伝を読んで、モラル的な、これはこうしなくてはいけないなんて、どうでもいいんだと思った。自分のスタイルで自分にあった形を、自分で探せばいい。人になんて言われても。”私には、これなんだよね”っていうものを。わかりやすく言えば、内田春菊さんみたいな。”えっ!?”って思うけど、彼女は堂々としてるし、人に迷惑をかけずに、自分のスタイルを貫いている。そういう生き方をつくるべきなんだと思った。なにも気にしなくていいんだって。
 だからということでもないんだけど、私はモトアキくんと別居をしていた3年半も、彼の親と暮らしていたわけだし(笑)。それはモラルや一般論ではなく、私がそうしたいし、お母さんもそうするということだったのでやっていただけであって。離婚のときも、”もう駄目かも”って言ったら、お母さんは、”好きにしちゃいな”って言ってくれたし。
 一般的とか、自分で勝手に ”こうしなくてはいけない”って考えている形とかは、どうでもいいの。人に迷惑をかけず、自分が正しいと思うのであれば、なにをしてもいいんだと思う。法律に触れていなくて、迷惑をかけないで、自分の形がそこで成り立つのであれば、それでいいんですよ」
●みんな、どうしても空気に流されやすい。ヒットチャートを見ていても同じで、そこに明確な理由がない。意志がないというか。
「うん。もちろん流行っているものを聴くアンテナは大事だと思うけど、要はチャンネルですよね。みんなでカラオケに行くならこの曲を知っておかないとっていう、そういうことも大事だと思うけど……。
 だけど、ひとりになったらこの曲、とか。……”なんとなく” で、いき過ぎているんだと思うんだよね。そこはたぶん父親の教育の影響だと思うんだけど、私の場合は子供の頃から、《常になにをしていても、”自分はこれをしたいから、いまはこれをしているんだ” ということを、いつでも説明できる自分でありなさい》と言われて育ったから」
●その話は、あとで聞くつもりでした。
「(笑)。常に自分のなかに方程式があって、それにはまってないとできないと言うのは、逆に言うと、私はマニュアル式の人間なのかも知れない。自由に見えて」
●だけどその方程式は、自分を客観視できる。
「一回ね。だから、若いときはその方程式も、”自分はこれをしたいから、やりたいようにやる。で、なに?”みたいな(笑)、そんな簡単なものだったけど、そうやってなにかが起きたときにはそれでは済まなくなるってことを知ってからは、やっぱり説明できることは、本当に重要なんだなって思った。
 あと、自分のフィルターをかけられる意志を持つこと。本当にそれをすべきなのかどうかとか。そういうことも含めて。説明ができる、イコール、責任がとれる、ということだと思うんです。で、責任がとれないことはしてはいけない。すごくシンプルだけど。それで責任をとる覚悟があるのであれば、どんどんやりなさい、ということだと思うんですよね。
 もちろん、”責任はとれない。だけどやりたい” と思って、地団駄を踏むこともいっぱいあるし。やりたいけど責任がとれないと思って、諦めることもたくさんある。そいうときは、いまの自分には早いんだなと思って」

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「治療は自分の意志で選べるから、もっと勉強をしないと」

●次に、本に書いてあることを、そのまま読みます。「2004年9月30日、私は乳癌と診断された」。……。
「神様って、サイコロを転がすよねぇ。いまでも、なんで?って思うよ。毎年検診をしているし、異常はないから、こうやって笑っていられるけど。私、それでも十分、並ではない人生を送ってきたと思っていたの。で、母親を亡くしたときに、これで悲しみは終わるって思ったの。こんな悲しい出来事は、たぶん今後、死ぬまでないだろうって。そう信じていたの。神が存在するとしたら、神に対して。これでもう最後だよね?って。これ以上の悲しみはないよねって思っていて、なのに、乳癌だったから。
 ”神様、なにがしたいの?”って思った。というか、”私がなにをしたの?” と思ったのが先だったかな。”理由があるなら教えて” という気持ちがすごく強かった。ただ、恨む相手もいないし、生きることが先決だったから、癌が見つかったなら、生きるためにどうすればいいかという、現実的な行動をとったことによって一瞬忘れたけど、いまでも思うよ。”神様、どうして私だったの?”って」
●言葉は軽くてごめんなさいだけど、大変でしたね。
「ん〜、どうなんだろ。でもたぶん、ほかの乳癌の患者さんよりも、もともと精神的には鍛えられていたから。あと、母親が同じ症状で、乳癌の勉強をすごくしていたから、勉強していた分だけは怖くなかったというか。いろいろ知っている分、治療方法も、こうなったら次はこうなるってわかっていた分、耐えられた、というのは正直あるかな」
●ただ、川村さんらしいなと思った箇所があるので、これも本に書かれていることをそのまま読ませていただきますね。「ただ、退院後にも予防のためにもと勧められた化学治療、つまり抗がん剤だけが納得がいかず保留にしてもらった。私は抗がん剤を拒否していた。なぜならそれはナチス・ドイツ軍が研究した殺人兵器であり、つい60年前にはサワルナ・キケン!とドクロの容器に入れられていたものであって、それを逆手にいい方向に使えないか、と進化させたものだからだ」。つまりなにが言いたいかというと、抗がん剤を否定する理由として、ナチス・ドイツが研究した殺人兵器だから。というところにいく川村さん。
「(笑)」
●結果的には、抗がん剤を使うんだけど、使いたくない動機が、川村さんらしいと思ったんです。
「うん。矛盾していると思った。許せなかったもん」
●そういうふうに考える人と会ったのははじめてで、びっくりした。
「あっ、そう?(笑)」
●抗がん剤を躊躇する理由のひとつがそこにある人は。
「なんか、腑に落ちなかったの。納得できなかったし。だけど、そういったことを知っているのも父親の教育だったのね。ヨーロッパにいたからということもあるけど、ナチスであったりとか、ポーランドのことを、《アンネの日記》もそうなんだけど。父親がすごく細かく教えてくれていたから。
 あと、母親が乳癌になったときに、インターネットもあったし、すごく勉強したこともあって。だから、それはちょっと腑に落ちなかったというか。殺すためのものを助けるために使うことの意味がわからないというのと、母親が抗がん剤でとても苦しんでいたのを見ていて、自分がそれに耐えられるとは思えなかったの。たぶん、失うもののほうが多いんじゃないかって。実際、髪が抜けたときに、このままもう二度と生えてこなかったらどうしようって。あのときの、女性としての醜さ、惨めさを考えたら、抗がん剤なんて勧められないよ」
●ロシアに帰ったとき、周囲に気づかれないようにカツラをかぶったくらい。
「うん。私が乳癌になったことは、未だに知らないんですけどね。やっぱり、お婆ちゃんに言えないもん。自分の娘も同じ病気で亡くなって……。”カオリは長生きしなさいよ”って笑って言っているのに、”実は数年前に癌になった” なんて、言えない」
●ほくも高校生のときに、仲のよかった女の子が白血病で亡くなったんだけど、やっぱり髪の毛が全部抜けちゃって。あの姿を見るのは辛かったですね。
「うん。辛いよねぇ……。ただ、私は医者にすごく噛みついていたので。そのとき、いろんな知識があってよかったと思う。
 実際は、医者のなすがまま、言われたままの治療をしている人が八割方。でも、治療は自分の意志で選べるの。だから、もっと勉強をしないと。自分に合った治療が絶対にあるし、薬も選べるし。私なんて、いまでもそうだもん。病院へ行って、薬を処方されて、”その薬と同じ効果のある薬で、もっと安い薬はない? それ、単価いくら?”って(笑)。担当の先生が電卓を片手にやってくれて。薬の単価は聞かないとわからないから。”同じ効果で、一番安いのは、どれ?(笑)”。”この薬はですね……”、”そっかぁ、どうしようかな” みたいな会話なの」
●それは笑える(笑)。
「”お薦めは、どれ?”(笑)って」
●どこかのショップでの会話みたい。
「でも医者だって商売じゃない? 薬を売っているわけだから、それに対しては、負けてよって言って、なにがいけないの?って。”うち、薬にそんなに払う余裕がないんだけど”って。それは当たり前の権利だと思うけどね」
●で、手術後に、まだ入院中なのにもかかわらず、病院を抜け出してライブをやってますね。
「やってますね(笑)。入院中に、DJもやってますね。そのまま、酔っぱらって病院に帰ってますからね(笑)。”ただいまぁ〜”って。看護婦さんが、”カオリさん、お酒臭い”、”ごめ〜ん。今夜は服のまま寝てもいい?”、”その前にメイクを落としてください” って(笑)。でも、誰にも迷惑はかけていないんです。静かに入っていくし。病人にも自由はあるんです(笑)」

「こんな体になってもいいの?って伝えたかった」

●手術後の、ホッチキスをいっぱいつけたままの胸の写真を、この本で紹介しましたね。
「うん。あれは、あえてさせてもらいました。私でさえそうなんですけど、一女性として、やっぱりこの先に恋愛ができるのかどうかという不安は持つ。いまはまだそんなことは考えてないですけど、恋愛することイコール、子供をつくるには肉体関係を結ばなくてはならないし。でもいろんな経験談で、服を脱いだ瞬間に、彼の態度が変わったとか、胸をなくしたことによって離婚した夫婦とか。”女性として見れない”、”気持ち悪い” と言われた話を聞いていて。
 私は、たかがそれだけのことで、と思うけど。だけどやっぱり、片胸がないというのは、不格好なんですよ。バランスがとれてないんです。そういうハンデを抱えて生きているわけで、じゃあ例えば、”カオリちゃん、胸にホッチキスをした写真、かっこいいよ。広告に使おうよ” と言われて、すぐに”いいよ” と返事ができるかなとか。あと、仮に何年か後に再婚する機会があるとして、そうなる前に受け入れられるのかなとか。そういうことは考えるんです。
 だからあの写真を公表したのは、こんなに不格好になるんだよ、ということを、若い女の子に見て欲しかったの。ちゃんと検診に行って、きちんとマメにやっていれば、ちゃんと美しい体のままでいられるから。女性は洋梨のようなラインで、かわいい胸がふたつあって、というのが、やっぱり一番なの。だから、自分のほんのちょっとした管理ミスで、胸のない皮膚を、ホッチキスで留められてしまうような体になってしまってもいいの? ということを、私は伝えたかった。
 辛いよって。不格好だよって。視覚的に女じゃないよって。目で見るものって、一番わかりやすいじゃない。だからあの写真は、こんな姿になりたくないって思ってもらいたかったんだよね。水着が着られないから、海も行けないからね。エステも行けないし、温泉も行けないし。もちろん、本人が開き直ればなんでもできるんだろうけど、でも女の子って、やっぱり恥ずかしがり屋さんだから。好奇の目で見られたくないという気持ちが強いと思うので、あの写真を見て、こうなりたくないと思ってくれればいいなと思ったの」

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「私は普通の人が持ちにくい不安を持って生きているから」

●ずっと前からそうだし、いまも同じ気持ちなんですが、ほくは川村カオリという生き方を、もっといろんな人に伝えたいんですよね。
「(笑)。そうですね。私の生き方がお手本になるとは決して思わないけれども。なぜかと言うと、成功者ではないし、マザー・テレサでもないし、国際的になにをしているということもないけれから。
 ただ、生きることに対して真面目に取り組んでいることであったりとか、多少は痛い思いをするのも怖がっていないとか、いくつかはあると思うの。たくさんとは思っていないんだけど、いくつかはささやかな……、自分にもできるかも知れないと思ってもらえるような。
 たとえば、セックス・ピストルズの映像を見たときに、これなら、自分もバンドができるかも知れないとか、その程度のものは、いくつかはあると思う。でも、私よりも素晴らしい人はもっといっぱいいるから。そういう人に出会う前に、もっと身近なところで、日本に住んでいて、すぐそこにいる人というのであれば、私は先輩や友達や、両親に教えてもらったことのなかで、いくつかは伝えられることがあるとは、思っているんですね」
●ほくは、川村カオリの生き方を多くの女性に伝えたい気持ちはあるけど、それ以前に、ほくはあなたをすごくリスぺクトしているんです。
「ありがとうございます」
●あるがままの、川村カオリを。だからその意味で、男が学ぶべきところもたくさんあるんですよね。
「こんな私だからこそすごく思うのは、ヒカゲさんであったり、モトアキくんであったりというのは、本当に出会うべくして出会った男性だと思うし。逆に言うと、次に出会う人はよほどすごい人でないと、私とはやり合っていけないんだろうなとは思う。なぜかと言うと、やっぱり、私はものすごいパーセンテージで向かって生きているから」
●でも、”恋は盲目” というし(笑)。
「どうなんだろうねぇ(笑)。子供がいるから、なかなか……」
●ただ少なくとも、川村カオリかものすごいパーセンテージ生きていることは間違いない。
「うん」
●だから好きなんだよね。
「(笑)。この歳になってやっと、自分は意外と不器用だったんだなって知りましたね(笑)」
●器用だったら、こんな生き方をしていない。
「してないよね、たぶん」
●本のなかにひとつの例え話が書いてあるんですが、それは、ある男がしあわせになろうと頑張って生活をしていると死に神が「迎えに来た」とやってくる。男は、「なにかの間違いでしょう。私はまだなにもしたいことをしていませんから」と言うんだけど、連れて行かれるという話です。そして、本の後半には、カオリさん自信の言葉で、こう書いてあります。「いかに自然に、しあわせになる準備のために生きるのではなく、まさに今、この一瞬一瞬のしあわせを感じるために生きていけるか。そして、いかに引き続きどこまでも、自分の心に嘘をつかず、自分でいることを追求し続けられるか。それらをまっとうできるか、だけだ」。いつかしあわせになりたいと頑張っていても、死に神に連れて行かれることがある。それよりも、いかにこの一瞬のしあわせを感じることができるか。
「それは自分が言ったことのように書いていますけど、本当は友達がしてくれた話で。いいことを言うなぁと思って、自分のものに昇華して書いたんです。その話は、自分が病気をしてしまったことが、実は大きく影響していて、私は一回、自分は死ぬんだというところに落ちて、生きていることは当たり前のことじゃない。五体満足でいることは、当たり前のことじゃないと、痛切に感じたんですね。
 その、あまりにも当たり前にあるしあわせというか。それを目の当たりにしたことによって、”明日はないかも知れない” という、普通の人が持ちにくい不安を日々持っていて。もちろん、いまだって再発するのも怖いし。もしも再発したら、次はこんなにピンピンはしていられないだろうから。
 正直に言うと、ZARDの坂井泉水さんとか、本田美奈子.さんが亡くなったときは、立っていられないくらい泣き崩れて。ふたりともお会いしたことはないですけど、白血病もそうだし、ガン細胞は一緒なので。あんなに若くて、それこそ人のために、ただまっすぐ唄っていたふたりじゃないですか。それがあっけなく連れて行ってしまわれるっていうのは……。人のニュースを見ているんだけど、自分と重ねて見てしまう。私が連れて行かれてもおかしくないから。だから、あのふたりのニュースは、痛かった。
 やっぱり、瞬間瞬間をちゃんと生きていないと、娘に何も残してあげられないから。人は、生きている限り、なんらかの病気になる。それが風邪ならいいけどさって。だから、女性は本当に自己管理。避妊からはじまって、……エイズは治らないからね。あと子宮癌、乳癌。ちゃんと検査をしてもらってほしい。私は病気になったことによって、より一層向かって生きているんだと思う。ただ、それは娘がいるからなんだろうな。たぶん、結婚していなくてひとりだったら、もっと無謀に生きていたかも知れないけど、いまは守らなくてはならないものが明らかにあるから。万が一私になにかがあって、娘に語り継ぐことができなかったときのために、ママはこうして生きたと言うことを、彼女への日記として残そうと思って、あの本を書いたの。
 だから、いまは娘というフィルターがあってこその自分のライフスタイルだから。洋服をやっていることもそうだし、新しい仕事を決めるときも、彼女は喜んでくれるかな。”ママ、すごい!”って言ってくれるかなって。やっぱり、”ママ、すごい!”って、言われたいのよ(笑)。”ママ、かっこよかったね!” とか。私は彼女に褒められたいだけなのよのよね」

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「ロシアでライブをやるのは夢だったんです」

●さっき、お父さんの話のなかで方程式を教わった話が出ましたが、ここで改めてもう一度伺います。お父さんがおっしゃった方程式は、《自分はなにがやりたくて、そのためになにが必要で、そしてそれは、何につながることなのか。それをいつでも言葉にできるようにしておければ、人は必ずついてくる》。というものでした。この方程式は、みんなに伝えたいですね。
「あの方程式は、アイデンティティーにつながることだと思うんですよね。尾崎豊さんではないですけど、《存在》というもの? その《存在》を確立させるのは、自分の意識なんですよね。自分がそこにいるかどうかというのは、人が決めることではなくて、自分が感じること。《自分は、ここにいる》という。それは人がつくってくれることではないので。だとすれば、《なぜいま、自分はここにいるのか。なぜいま、それをするのか》ということを、言葉にできない限りは、人ではないんですよね。なぜなら、動物ではないから。そういうことだと思う」
●人間と動物の違い。
「そう。思考があり、思想があり、言葉がある。そして、それを伝える。共感し合う」
●感情も大事だけれども、思考も非常に大切。
「うん。そうだと思う」
●それにしても、お父さんはすごい。
「ねぇ」
●川村さんが子供のときに、ああいうことを伝えることがすごいなと思う。
「実際、刷り込まれていますからね。さすが、学生運動をしただけの人だなと思う。やっぱり、反骨精神のある親の元で育ってきたということが大きいと思う。……今回オリンピックの決まったソチに、今年の6月、父親と行ってきたんですよ」
●へえ〜。
「年齢がね。おじいちゃんなので。とは言っても、元気ですけど」
●おいくつなんですか。
「74、かな。ピンピンしていますけど。その年齢には全然見えないし。それで、父親と一緒にソチに行って、そこではじめて聞いた話がいっぱいあったの。いままで隠されていたこととか(笑)。一体どうして学生運動をしていたのかとか。なぜあんな若いときにロシアに渡ったのかとか」
●それは、単に仕事でロシアに行っていたのでは?
「いろいろあったのよねぇ(笑)」
●そうなんだ。
「うん(笑)。やっぱり、そういう話を、私が大人になったからできる。で、生きているあいだに話してもらってよかったという話が、すごくいっぱいあって。それだけの活動家の娘として生まれたのなら、これだけツッパる娘に育つよねって(笑)。子供のときは気づかなかったんだけど、必要なものは全部教わっていたんだと思うんですよね」
●今回、どうしてソチへ。
「ライブだったんですよ。SORROWというバンドのほうで。フェスティバルがあって。ジブシー・キングスとかもいて。あと、電撃ネットワーク一も緒でした。実は、ロシアでライブをやったのは、今回がはじめてなんですけど、ロシアでライブをやるというのは、デビューしたときからの夢だったんです。日本ではニュースにもならなかったんですけど(笑)」

「《人に残る歌を唄う》というコンセプトで」

●来年は、デビュー20周年ですね。
「ねぇ〜。本当ですよ」
●20年という数字は、いかがですか。
「ときは、本当にあっという間に経つんですね(笑)。私のなかでは10年くらいの感覚でしかないんだけど。この調子だと、すぐ老後だ」
●いやいや(笑)。
「(笑)。だけど、なにひとつ後悔はしていない。凛とした感じでいれることが、実はすごい財産なのかなって思う。あとは、幸いにもこの業界から消えることなく、マイペースだけど、ずっとやっていけているし。それはそれで幸運ですよね」
●20周年で、なにか考えていることはありますか。
「川村カオリ名義でリリースしたいなと思っているんだけど、これがいまのところ、なかなか思うように進んでいなくて。不景気で(笑)。
 ただ、末美さんが川村カオリの伝えたいと思ってもらっている部分とか、私は客観的に自分を見て、いま、表に出るべきときだと思ってる。音楽業界も昔ほど若ければいいという発想でもないから、その意味ではやりやすい気がしているの。日本語で、ちゃんと伝わる歌を。ある意味、初心に戻って。サウンド面がいまの21世紀の音になるだけであって、私はデビュー当時のスタイルに戻るべきかなと思っているところ。
 いま、回帰すべきときなの。それだけは、わかってる。そして、人に残る歌を唄う。そういうコンセプトは、ある」
●ぜひ実現できるときを、楽しみに待っています。
「実現させたいですね」
●それと、川村さんがいま書いている詞を、読みたいですね。
「あ〜! まだ勉強中です(笑)」

 今回のインタビューを読んで、川村カオリの生き様や、「人が生きる」ということをもっと知りたいと感じた人は、Part.1の冒頭で紹介した本をぜひ一度読んでみてほしい。この本を読むと、生きることのすごさがひしひしと伝わってくる。
 過激でも無謀でもなく、彼女の生き方は、できる限り「あるがまま」だと思う。しかしなにより、この「あるがまま」が難しそうに感じてしまう。だけども、たった一度の人生。彼女の生き様を見ていると、ぼく自身のこととして、最低限その程度の壁は超えないといけないと思う。こんな感じで、川村カオリには、いつだって学ばせてもらっている。そしてもちろんこれからも、学ばせてもらいながら、同時に彼女を応援していきたいと考えている。
posted by suemi at 02:00| Comment(1) | 川村カオリさん